「漢字の成り立ち」を語る際は、最も初期の字形を根拠にしなければならない――「丁・正・以・亡・家・安」の字源を例として
こんにちは、みなさん。
近年、多くの場所で「漢字の成り立ち」が語られる場面に遭遇します。テレビ番組や新聞雑誌、書籍や漫画、インターネット上のサイト・ブログ・SNSなどなど。しかしそこで見聞きする「漢字の成り立ち」説というのは、科学的根拠に欠けた信用できない説であることが少なくありません。
多くの場合、語り手が実際には文字学の知識に欠けた者であることが、その直接の原因となっています。こうした語り手達の間で、不可信で不正確な説明が伝播されていきます。
説得力の低いものと聞いて、テレビのバラエティ番組で芸能人が話す説や、あらさまな広告収入目的のインターネットサイトの説、書店に並ぶ泡沫雑学本に掲載されている説などが思い浮かぶかもしれません。しかし驚くべきことに、残念ながら、漢和辞典・漢字字典にすらも信用すべきでない説が掲載されていることがあります。
彼らは、どこで間違えたのでしょうか?私達がこうしたフェイクに騙されないためには、どのような点に注意すればよいのでしょうか?どのような文字学的知識が必要なのでしょうか?
最も初期の字形を根拠にしなければならない
漢字の字形は当初事物を描いたものないしそれを複数組み合わせたものでしたが、時代とともに形が変化し、象形性は失われていきました。したがって、原始的形態から変化した後代の形をもとにした字形分析は容易に誤りを生みます。
出土文献・古文字研究が盛んになるより以前の清代以前は、説文小篆(秦・漢代の字形をもとにした字形)をもとに字源説を語ることが一般的であったため、多くの誤説が生まれました。20世紀に入って甲骨文や金文の研究が進み、説文小篆が漢字が誕生してから1000年以上経過した既に大きな変化を経た形であることが理解されたことで、このような誤説は淘汰されつつありますが、古文字学を専門としない人はしばしば甲骨金文字形を一瞥もせずにこのような廃れた旧説を依然として拡散したりします。
「丁」字の例
「丁」字は説文小篆では上のような形であり、19世紀~20世紀初期の学者の多くがこの形を「釘の形」と解釈し、この字の本義は「釘」であるとしていました。しかし、商代の「丁」字の字形は円形ないし長方形のような形であり、説文小篆とは全く異なっています。
古文字学に明るくないために旧説に固執する者は、なおもこの初期の字形を「釘を上から見た形」であるとして後代に「釘を横から見た形」に変化した、などと主張しています(市販の漢和辞典では『新字源』や『漢字源』など)。このような考え方は誤りで、後代の“T”形の字形は、初期の“●”形が“▼”形を経て変化した形にすぎません。現在の古文字学者は一般的に「丁」字の初形は人間の頭部を表しており{頂}{顛}の象形であると考えています(これはまた古文字において「丁」字が「天」「元」等の字の頭部と同形であることを説明します)。
「正」字の例
このような、古文字字形に注意を払わない姿勢が顕著なものとして、市販の漢和辞典では『漢字源』が挙げられます。例えば、「正」字を以下のように解説しています。
「正」字の古文字字形は次のとおりです。
見てわかるように、この字の上部も「丁」字と同様、商代の字形は円形や長方形であり、“一”形は変化した後の形です。古文字学者の劉釗氏は甲骨文の「正」字について以下のように述べています。
かつて多くの古文字学者はこの説に従っていました。しかし後に劉釗氏は考えを改め、上記の文章に以下のような注釈を追加しています。
商代金文の「正」字の上部を見ると、中央が塗りつぶされた“●/■”形と、中央が空白の“○/□”形が存在しますが、西周金文には“●”形のみが継承されました。これは「丁」字も同様です。一方でいわゆる城邑を表すとされる「囗」を含む「邑」字や「韋(圍)」字は中央が空白の“○/□”形しか存在せず、その結果現在の楷書でも“囗”形が維持されています。このことと、{正}と{丁}の古代の発音が近似していること、「ある漢字が二つ以上の部品に分解できるとき、ほとんどの場合、それらの部品の一つ以上は一種の発音記号」ということ等を踏まえると、後者、つまり「正」字は声符「丁」と意符「止」からなる字である可能性が高いでしょう(劉釗:《古文字構形學》,福建人民出版社,2006年1月,第93頁)。
いずれにせよ、「正」字の上部は線ではなく、「足が一線をめざしてまっすぐ進む情景」は明らかに誤りです。驚くべきことに、『漢字源』はこの古文字字形を無視した文章の傍らに、「丁+止」からなる甲骨文の字形を掲載しています。
おそらく、文章を書いた加納氏は古文字字形を全く見ておらず、また古文字字形の掲載はそれとは別の編者が担当しているのでしょう。誤った字源説が次の改訂で修正されることを願います。
「以」字の例
ところで、漢和辞典・漢字字典には、上掲のように甲骨文や金文の字形を掲載しているものがあります。しかし、それが必ずしも字の初形であるとは限りません。辞典に掲載されている、せいぜい2~3個の字を眺めるだけでは、まともな結論が得られることはありません。
『新字源』『漢字源』『常用字解』で「以」字を引くと以下の古文字字形が掲載されています。かつて徐中舒はこの形を「耜の形」と解釈しました(徐中舒:《耒耜考》;《中央研究院歷史語言研究所集刊》第2本1分,1930年)。『新字源』『漢字源』『常用字解』はみなこの説に従っています。
上記の「甲骨文」の形は、主に小屯村南出土の甲骨文に用いられています。
しかし、村北出土甲骨文では別の形の字が用いられています。
このように、「以」字の殷墟甲骨文には二種類の形が存在します。
上段の「人が物をもっている形」が初期の形で、下段はその「人」の胴体部分を省略した略体であることがわかります(裘錫圭:《説“以”》;《古文字論集》,中華書局,1992年8月,第106-110頁)。「以」字は甲骨文において「(人・物を)携える、率いる」といった意味で用いられており、字形はその意味をよく表しています。徐中舒はこの字の他にも長く曲線的な筆画を持つ字をことごとく耜類の農具の形としていますが、多くは信用できません。
「亡」字の例
『新字源』『漢字源』『常用字解』は「亡」字に対して次に示す字形を掲載しています。
この形はなんという言葉を表したものなのでしょうか?『新字源』『漢字源』『常用字解』はみな現在の意味を本義として字形を説解していますが、 いずれも信用できる説ではありません。また、現在の字義が造字本義とは限りません(⇒以前の記事を参照)。
「亡」字は甲骨文では大変よく使われる字ですが、このような頻出字はしばしば大幅に簡略化されます。簡略化される前の形は次のようなものです。
“○”形が“-”形になる場合があるのは「正」字の例で見たとおりです。
ところで、春秋時代の晋国と関係の深い集団に「無終」族が存在します。
1986年、「亡𨚟」と書かれた三孔布(戦国時代晩期の趙国の貨幣)が発見されました(朱華:《略談“無終”三孔布》,《中國錢幣》1987年第3期,第45-46頁)。趙国は晋国の後身であり、「亡𨚟」というのは伝世文献の「無終」のことでしょう(かつて「亡」と書いていたのが後代に「無」と書くようになるのはよくあることです)。
1965年、陝西省綏徳県で商代の無終族の戈が出土しました(黑光、朱捷元:《陝西綏德墕頭村發現一批窖藏商代銅器》,《文物》1975年第2期,第82-87頁)。「亡冬」と書かれています。
この「亡」字は先に見た甲骨文よりも象形性が高く(商代の族名金文の字は一般的に甲骨文の字よりも高い象形性をもっています)、明らかに刀の一部分に「○」がつけられた形になっています。
字形・字音より、「亡」字は{芒|きっさき}を表した字であるとする裘錫圭氏の説(裘錫圭:《釋“無終”》;中國古文字研究會第八届討論會論文,1990年)が最も合理的です。この字の構造はいわゆる六書でいう「指事」の典型例です。
「家」字の例
「家」字は一般的に「宀」の下に「豕」と書きます。なお、「宀」字は家屋の形を描いたもので、「豕」字は動物のブタ・イノシシ類動物の形です。{家}はなぜこのような形の字で表されるのでしょうか?
『新字源』は「もと、いけにえをささげて祖先神を祭る「たまや」の意を表した。」としています。殷墟甲骨文では祖先が祀られている場所として「家」が登場するため、この説は一定の道理があります(ただし、犠牲を伴う祭祀儀礼を「家」で行うという例は確認されていません)。『漢字源』は「ブタは身近な家畜の一つとして選ばれた」としています。家畜の代表としてブタが描かれるということ自体は理解できますが、人の住居に存在する物体の代表として家畜が描かれるというのは納得し難いのではないでしょうか。『常用字解』は「豕」形を「犬」と誤解釈(後述)した上で、「家」は犬を埋めた土地の上に建てられたからと述べますが、これは「字形を眺めて創作したストーリー」でしょう。このほか、古文字字形に注意を払わない人たちによって、ブタは人間に重宝されたから・ブタは人間のように社会的な動物だから・ブタは野生よりも屋内で飼われることが一般的な動物だから等等多種多様な説が考案され、さらには民族・社会史研究家を中心にこれを中国における家庭の起源と結びつけて解釈するようなことが(現在でも)行われています。古文字学者の陳剣氏は、このような振る舞いは、全く不可思議ではない文字学上の平易な問題を無意味に複雑化する行為だと述べています。
実際には、「家」字の初形は「𢑓」を声符・「宀」を意符とする、常見される構造の一般的な形声字であり、のちに下部の「𢑓」の古形が「豕」に同化したにすぎません。つまり「家」字は動物とは何の関係もないのです。
甲骨文中の「豕」字は以下のように書かれます。
『新字源』『漢字源』『常用字解』に掲載されている「家」字の古文字字形は以下のようなものです。
『常用字解』に掲載されている甲骨文の字形を、先の「豕」字と見比べてください。この字形の下部は「豕」に近い形をしていますが、下肢の付け根付近に「豕」字には無い筆画が存在しています。
この字(「𢑓」)は単独の字としても殷墟甲骨文中に登場します。構意は明白で、生殖器を強調したブタの形であり、{豭|雄のブタ}の象形字です。
甲骨文の字形を見てもなお「この字の下部は「豕」と書くのが初形で、「𢑓」に従う字の方が書き誤った字だ」等と主張して、誤った説に固執する人もいます。しかし殷墟甲骨文中に見られる「家」字は、そのほとんどが「𢑓」に従っています。
上に挙げた例では、右二例(《合集》34192・《屯南》332)の下部が「豕」形ですが、これらは胴体が一本線で描かれていて幅がなく、胴体が二本の平行線で描かれていて幅を持った形の字よりも変化を経た形であって初形でないことが明白です。こういった晩期の字形を除くと「豕」形に従う「家」字は《合集》13584などごくわずかになります。
『新字源』と『漢字源』が甲骨文として挙げている字形は下部が「豕」形になっています。よく見ると『新字源』と『漢字源』は同じ字を引いています。実は、日本で市販されている漢和辞典・漢字字典や書道篆刻用の字典・字形表などに掲載されている甲骨文の字形は、《甲骨文編》(中國社會科學院考古研究所編輯,中華書局,1965年9月)という字典からの引用あるいはその孫引きであることがほとんどです(『漢字源』は参考文献として《甲骨文編》を挙げていないので孫引きなのでしょう)。しかし、《甲骨文編》掲載の字形はすべて甲骨片の拓本から模写したものであり、正確性に著しく欠けているため、これを参考にする際は必ず原拓を見なければなりません。『新字源』と『漢字源』が引用している字形は、《甲骨文編》(第315頁)を見ると出典は《前》7.4.2となっています。《前》7.4.2とは以下の図版です。
この図版の「家」字はひびが入っていてほとんど読み取れません。《甲骨文編》掲載の「豕」形の「家」は想像で書いたものでしょう。このような字形を代表例として掲載する『新字源』と『漢字源』の姿勢は不適当ですし、逆に言えば実際の字形を見ずに字形についての説明文を書いている可能性が高いということです。ある漢字が二つ以上の部品に分解できるとき、ほとんどの場合、それらの部品の一つ以上は一種の発音記号でしかない、というのが古文字の法則です。{家}と{豭}は同音であり、「𢑓」は疑いなく「家」字中で声符として機能しています。人の住居とブタを結びつける考えはなんら合理性を有していません。
なお、白川静は「家」字は甲骨文や金文では「豕」ではなく「犬」に従っていると述べています。これは方濬益(《綴遺齋彝器款識考釋》卷十,第24頁)や高田忠周(《古籀篇》卷七十一,第1-5頁)の影響と思われますが、明らかに誤りです。
西周金文中の「豕」は下部が“力”・“メ”のような形になっているのが特徴ですが、「犬」の下部は“人”・“イ”のような形になっています。
宰獸簋の「家」字中の「豕」と「獣」字中の「犬」、㝬簋の「家」「墬」字中の「豕」と「猷」「獻」字中の「犬」、毛公鼎の「家」「彖」「圂」字中の「豕」と「猒」字中の「犬」、みな下部の写法には明確な差があります(謝明文:《説“狄”》;《文史》2019年第1輯,中華書局,第15-22頁)。
殷墟甲骨文中の「犬」字は尻尾の部分の筆画が長く、また多くの場合途中で曲がっています。したがって甲骨金文中の「家」字の下部は決して「犬」ではなく、「𢑓」および「豕」であることがわかります。
「家」字の初形が従う「𢑓」は「豕」の生殖器を強調した形ですが、のちに「家」が従うのは普通の「豕」に変化しました。
同様に、「鶏」「鳴」字の右側は、ニワトリの象形字でしたが、後に一般的な「鳥」に同化しました。「備」字の左側は、「人」の背中部分を“○”形で示した{背}を表す字でしたが、のちに一般的な「人」に同化しました(田煒:《讀金文偶記二題・説西周金文中的“背”字》;《古文字研究》第29輯,中華書局,2012年10月,第288-291頁)。秦漢文字中の「奴」字の右側は、手で物を掴んでいる形の{拏}の象形字でしたが、一般的な手の形「又」に同化しました(陳劍:《柞伯簋銘補釋》;《傳統文化與現代化》1999年第1期,第50-53頁)。
このように、古文字字形が変化する過程では、比較的特殊だったり既存の偏旁に比べてなんらかの標識を有している偏旁が、より一般的で標識のない偏旁に同化することがよくあります。
「安」字の例
「安」字は「宀」の下に「女」がいる形で、しばしば以下のように解釈されます。
戦国・秦・漢代に書かれた「安」字を見ると、「宀」の下部には「女」形の近傍に筆画がもう一画(戦国楚系文字では二画)存在しています。
同様に、西周金文中の「安」字も例外なく右下部に短い画が存在します。
なお、『漢字源』の「金文」欄にはこの筆画がない字形が掲載されています。
日本で市販されている漢和辞典・漢字字典や書道篆刻用の字典・字形表などに掲載されている金文の字形は、《金文編》(容庚編著,科學出版社,1959年5月)という字典からの引用あるいはその孫引きであることがほとんどです(『漢字源』は参考文献として《金文編》を挙げていないので孫引きなのでしょう)。しかし、《金文編》掲載の字形はすべて銘文の拓本から模写したものであり、正確性に著しく欠けているため、これを参考にする際は必ず原拓を見なければなりません。『漢字源』が引用している字形は、《金文編》(第409頁)を見ると出典は「睘尊」となっています。睘尊の拓本を見ると、この字も実際には右下部に短い画が存在していることがわかります。
殷墟甲骨文中の、文例より確実に「安」字であると言える字を見ると、やはり下部は「女」形に加えてもう一画筆画が存在しています。
殷墟甲骨文中には、「宀の下に女」の字と「宀の下に女に加えて、女の近傍にもう一画」の字がそれぞれ見られますが、両者はそれぞれ全く異なる別個の字です。
後者こそが今に伝わる「安」字であり、前者は「𡧊(賓)」の異体字です。以下、古文字における真の「安」字の下部である、「女」形に一画添えた形の字について述べます。
1980年代に出土した西周早期の青銅戈の銘文に、この「安」字の下部が単独の字として確認できます(燕侯戈,《銘圖》16389)。
西周金文では、一般に国名の{燕}は「匽」と書かれます。
西周金文中の「匽」字から「日」を除いた部分は明らかに先に挙げた「“女”形にもう一画」の形と同一です。「匽」字中の「匸」は「女」形に添えられた筆画が変化したものであることがわかります。
戦国楚簡では助詞の{焉}を表す字として、「安」の下部のみの字が大量に出現します。
2003年、山東省の大辛庄遺跡から発見された商代の亀甲に、以下の字が刻まれていました(方輝:《濟南大辛莊遺址出土商代甲骨文》,《中國歷史文物》2003年第3期,第4-5頁)。
この字もまた明らかに「安」字の下部と同一形です。
以上のような状況から、「女」形に一画添えた形の字が、「安」字とは別に単独で存在していたことは疑いありません。この添えられた一画はほとんどの場合「女」形の臀部付近に存在しています。かつて一部の学者は西周金文中の「安」字の下部のこの筆画に着目して、座る時に用いる敷物を表しているのではないかと推測しました(林義光:《文源》,1920年,卷六第19頁)。この筆画が具体的に何を示すか断定するのは難しいですが、下半身に関係している可能性は高いでしょう。形と音を考えると、この「女」形に一画添えた形の字は「座る」を意味する{安}の象形字と考えられます(《逸周書・度邑》の注釈や《爾雅》に「安,坐也」とあります)。
古文字の字形変化には、既存の字に意符をさらに添加する例があります。一般に座るのは屋内なので、「女」形に一画添えた形の字に、さらに意符「宀」を加えることで「安」字が生まれたものと思われます。これは、「坐」字に、さらに屋根の形の「广」を加えることで「座」字が生まれたのと同様の例です。
最初に示した『新字源』のような「家の中に女がいる」形でもって「やすらか」という意味の{安}を表したという説には、牽強付会の面があります(象形字の字形は本義から見て単純直感的であるべきで、逆にそうでない説明は疑うべきです)。「やすらか」という意味の{安}と「座る」という意味の{安}は親子のような関係と考えられますが、実際に「安」字の字形自身が表している意味(=造字本義)は「やすらか」ではなく「座る」なのです。
上記をまとめると、漢和辞典等に「安」字の甲骨文として掲載されている字形は実際には別字で、「安」字の初形は「女」形に一画添えた形の字で本義は「座る」、「安」字の字形は「人が座っている」形を描いたものであり、決して「家の中に女がいる」形を描いたものではないということです(陳劍:《説“安”字》,《語言學論叢》第31輯,商務印書館,2005年8月,第349⁃363頁)。
おわりに
以上、変化を経る前の原初の古文字字形を根拠にすることの重要性を、いくつかの字形の解釈を例に挙げて紹介しました。よく非古文字学者が、ある時代のある特定の形のみを引用してロールシャッハテストを楽しんでいることがありますが、このような行為は全く学術的ではありません。ある漢字に対して、その字が当初表していた言葉と意味を探し出すときは、出土資料上の関係する文字をすべて浚い、古文字の言語的法則および字形自身の変化の法則を応用することで原始的な形態を見つけ出し、必ずその形に依拠しなければなりません。
「漢字の成り立ち」の語り手たちがこのことをしっかり認識し、不正確で信頼性に欠ける説への執着をやめて、より文字学の発展に寄与することを願います。
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