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「漢字の成り立ち」説には科学的根拠が必要 ~トンデモ・誤字源が世間で拡散されていることに関して~

こんにちは、みなさん。

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今回は「漢字の成り立ち」について小話したいと思います。

【この章の要旨:本やインターネットで扱われている「漢字の成り立ち」は残念ながら誤りがほとんどってハナシ】

みなさんは日本語を綴るとき必ず漢字をつかっていることでしょう。漢字は日本の生活上欠かすことのできない存在であり、したがって人々の漢字に対する関心もそれなりに高いと思われます。
中型以上の規模の書店であれば漢字関連書籍をまとめた棚があり、漢字字典・漢和辞典だけでなく四字熟語がどうとか、難読漢字がどうとか、使い分けがどうとか、漢検がどうとか、まあいろんなジャンルのいろんな本を見ることができます。その中でいわゆる「漢字の成り立ち」的なことに関連した本もまた一定以上見られます。

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こうした本において、作者の自己紹介や序文・後記を見てみると、過去に漢字を研究したことはなく、漢字に関連した仕事もしたことがないということが、しばしば書かれています。彼らは日本語学など漢字にカスっている本を書いていたり、あるいは雑学本を連発していたりしていて、まあそういうことをしているうちに、何らかの理由で漢字に出会い、漢字の成り立ちに関する本を書いたのでしょう。

このこと自体は漢字愛好者としては喜ばしいとも言えます。しかし、残念ながら現実として、そういった漢字の成り立ちを扱った本の中身を見ると、いわゆる「望文生義」「看図説話」と称されるタイプの非学術的な、まあ言ってしまえば誤った記述で埋められていることがほとんどです。

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このような現象は本だけでなく、テレビ番組やインターネットでも見ることができます。というよりこの小話をインターネットを通じて聞いているみなさんなら、こちらで出くわすことのほうが多いでしょうか。

インターネット上には漢字を扱ったサイトがいくつもあります。またそうでないサイトで一時的に漢字を取り上げることもあるでしょう。そこで述べられる「漢字の成り立ち」に関する記述も、残念なことに、やはり残念なことになっています(残念)。

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【この章の要旨:「漢字学者」とされる人までもが、漢和辞典や新聞などで科学的根拠を放棄した言説を述べているという例を紹介】

さらに重大で遺憾な事実があります。漢字を歪めるのは、過去に漢字を研究したことがない専門知識を有しない人々だけではありません。「漢字学者」として世間に名前を売っている人でさえもが、しばしば、みなさんが普段手に取るであろう漢字字典・漢和辞典や新聞・雑誌のコラムや著作物などでまた過ちを犯しています。

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誤りには様々なパターンがあり、別の機会があればそれぞれ紹介したいと思いますが、ここでは最近の例を1つあげてみましょう。日本漢字能力検定協会漢字文化研究所所長であり、日本漢字学会の会長を務める阿辻哲次氏は、「年」字について以下のように語っています。

「年」はもともと豊かに実った穀物を人が背負っているさまをかたどった文字

阿辻氏が編集に携わっている漢和辞典『新字源』にも、「年」字は人が穀物を背負っている形の象形文字だという記述があります。「年」字の古い形を見ると、確かに稲の形である「禾」と人の形である「人」を組み合わせた形になっています。しかし、「禾」と「人」は上下に並んでおり、背負っている形と解釈することはできません。

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一方で、金文の字書『金文形義通解』の「年」字の項目には以下のようにあります。

人,並非義符,實爲聲符。[1]

この記述はとても正確です。この「人」はただ発音が「年」に似ていたために字の部品として組み込まれたに過ぎず、人間とは関係がありません。「年」を「稔」とも書きますが、これは近似した発音の部品が「人」から「念」に変わったものです。実際のところ、ある漢字が二つ以上の部品に分解できるとき、ほとんどの場合、それらの部品の一つ以上は一種の発音記号でしかありません(さらにいえば、これは漢字だけでなく、ヒエログリフやトンパ文字など他の文字体系でも見られる現象です)。

結局、阿辻氏は、このような古代の漢字における一般的な「法則」や発音の近似という客観的な「理」を放棄して、文字を正確に読解することができずに主観的な解釈をするという誤った道に進んでしまいました。

客観的な法則を捨ておいて、「望文生義(字面のみを見て憶測する)」という方法によって古文字を解釈しようとするなら、必ず徒労に終わるにちがいない。[2]

【この章の要旨:学術には科学的根拠が必要であることを認識し、妄想の産物に騙されないように意識することが必要】

私は常々、こうした漢字関連の本や記事の書き手たちによって、漢字が好き好きに曲解されていることを悲しく思っております。

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人々はしばしば漢字の字形に関心を持ち、その理由を知りたがっています。しかし古代漢字の研究は一つの学問分野であり、長く豊富な研究の積み重ねがあり、また深遠長大な知識が強く求められ、したがって人々がその興味関心を満たすのは容易ではありません。

そのため本来であれば、書き手たちには、そうした難しい学術知識を、専門知識を有しない人々に向けてわかりやすく噛み砕いて広める立場が求められています。ですが現実には、書き手たちもまたみなさんと同じく、専門知識を有しない一般的な人々の構成員でしかなく、学術の世界から離れたところで好きなように漢字を操作している状況であります。

昨今「フェイクニュース」が話題になっていますが、これもこうした問題の一つと言えるでしょう。人々は内容の刺激性・意外性などに惹かれ、ときに正確性を忘れます。フェイクニュースが拡散される理由はさまざまで、特に金銭や承認欲求の満足を目的としている場合は、彼らはそれが妄想の産物だと知っていても拡散に努めるので、抑制は難しいかもしれません。しかし、良識ある人間であれば、いわゆる「ファクトチェック」を行い、こうした偽りにとらわれないようにするのが当然でしょう。

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書き手は、学術に科学的根拠が必要だということを知らずに恣意的な思考をしているのかもしれませんし、あるいはファクトチェックを怠って他人の書いたフェイクをわけもわからずコピーしているのかもしれません。しばしば彼らは、「過去のことは過去の人にしかわからず、本当に確実なことはわからない。ゆえに何が正しいか何が誤っているかは判断できない」等と言います(この言葉は特にフェイクを擁護するときの言い訳に使われがちです)。しかし、言説には「信頼性」が存在します。書き手は自身が発表する言説の「信頼性」の確認を行わなければなりません。ファクトチェックとは0(偽)か1(真)かではなく幅があります。フェイクに没頭する人は「何が正しいか何が誤っているかは判断できない」と言いながら、0や0.1のものを1と偽って拡散します(不思議!)。読み手にも、その記述が科学的根拠を持つものかどうか確認することが求められます。読み手がそれを判断するのは難しいことですが、フェイクである可能性があることを意識することは重要です。

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繰り返しますが、現在、書籍やインターネットで容易に得られる「漢字の成り立ち」情報は、科学的証拠を放棄した妄想の産物が多くみられます。人々が、学術には客観的思考で取り組まなければならないことを再確認し、漢字の成り立ちを好き好きに操作することがなくなることを望みます。

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引用元

[1]張世超等:《金文形義通解》,中文出版社,1996年3月,第1787頁。
[2]李学勤著,小幡敏行訳:『中国古代漢字学の第一歩』,凱風社,1990年5月,第44頁。

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