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未完成の大器?

「未完の大器」という言葉がありますよね?これから大きく伸びそうなもの。粗削りだけど、大物の片鱗を見せているもの。

しょうもない思いつきですが、「未完成」のものを放置していて、ふと思い出したときに手を加えようとすると・・・これって結構滑り出しや着眼点は良かったんじゃないか?と思う記事に出逢ったりしますか?それとも、一度放置したnoteや作品は手を加えるなら全面改訂になったりしますか?

思考の連続性やインスピレーションの問題かもしれませんが、以前の自分が「書いたはず」の文章と接続出来ない。大物になれなかった、粗削りのまま放置した責なのか、そもそも「完成」まで行けなかったものだから、何かが決定的に欠けていたものなのか??

不思議ですよね。

あるのはあるんですよ。たまにあ、これ書きかけだ!と思って手を加えるとさらっと書き終えるやつ。それは多分「完成」出来る器が最初から備わっていたのでしょうね。

指導者として人と接する時も同じです。確かに「大器」も「未完の大器」も存在します。と、同時に現状では器は小さい人というのも居ます。その中で、何をどう入れていくか?加えるか?器の中でどう醸成されるか?を考え、時間軸を決めていきます。どれくらい時間を掛けるか?醸成するまでの時間は??

他にも、そもそもこの人には別のふさわしい器が備わっているのではないか?この競技だけに固執させるのではなく、別のことも視野に入れてもらって・・・などなど、色々考えます。

ちょっとお久しぶりな方のコーチを請け負う時も同じですね。一旦、器にどんなものが入っているかを確認させて頂くことがあります。中身によってはもう一度全部入れ替えるくらいの覚悟を持って頂く場合もあります。

できれば病院などと同じように、定期的にレッスンを受けて欲しいところです。もっと言うなら、塾のようにそれなりの頻度で通っていただくことで「器」そのものをいじったり、修正・拡張を施すことも可能となっていきます。

何より、接続に迷うことが減る分、質も高くなりますよね。


★★★

とまあ、つらつらと思い浮かんだことを書きました。「未完の大器」と「未完成」は大器になり得るか?ただの連想ゲームですけど(笑)


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