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それは精神的に貧しいのか

 ニュージーランドに来てもう少しで3か月。1月末からは超巨大な農業会社で働き始めた。トラクターに乗って(運転しているわけではない。)、ブロッコリー、キャベツ、レタスなどをひたすら植えまくっている。ブロッコリーなんて自分だけで軽く1万は植えているんじゃないか。今回はそこで働いている人からの話を書きたい。
 一緒に働いている人で、ネパール出身のお母さんがいる。ニュージーランドに移住してきて10年以上。仕事を一緒にしながらいろんな話を聞いた。

「夫が誕生日だったので、ハイブリッドの新しい車を買った。」
「最近は、家を買いたくて色々と物件を見ている。」
「兄弟がアメリカにいて、いくつか家を買っている。」
「兄弟に新しいiPhoneやApple Watchを買ってもらった。」
というような話を自慢げによくしてくる。本当に関心が持てなかったので、てきとうに聞き流していた。

なんかずれているんだよな。そう思った。幸せに対する価値観が違うといえばそれはそう。

 車は費用がたくさんかかるし、必要としてないので買いたくない。家なんてローン組んで一生返し続けないといけないから、賃貸でいい。家が欲しかったら、なんとか大工を探したり、ボロい家を改装してみたほうがいい。iPhoneなんて今もっているiPhone11で機能的に十分だから新しいのは全然必要ない。もうほんとうに価値観が真逆だった。
 ネパールから移住して、家族がいて、お金を稼いで家族のために使う。それは真っ当なことだと思う。だけど、新しい車や家を買うことだけが幸せにつながるわけではない。何か高くて新しい物を買うことで、より一層働いて、自分の時間や体を犠牲にしないといけなくる。実際、そのお母さんが家庭を支えていて、夜の8時とかまで農場で働くことも少なくない。もっと家族との時間を大切にすればいいのにと思った。

 ネパールのお母さんの話を聞いていると、数年前、インドに行ったときの出来事をなぜか思い出した。
 子供たちに、「今のiPhoneの機種は何?」「車はもってるの?」と聞かれたとき、憤りと悲しさを覚えた。それを答えたところで何になるのか。そんな質問は答えたところで何も楽しくないし、どうだっていい。その質問の裏には、最新のiPhoneをもって、車を持っていることはいいことだという考えが子供たちのなかにあったように思う。ニュージーランドとインドでの話はどこか繋がっている。

 精神的に貧しいな。そうだ。いくらお金を稼いで貧困から抜け出したとしても、精神がぜい弱で考える力を持たなかったら、それは貧困からは抜け出していない。なぜ新しいものを欲しがるのか。なぜそれを自慢したがるのか。それは、それらを手に入れることが大切であり、幸せなのだと信じ込んでいるからに他ならない。広告に踊らされ、考えることを無意識に放棄する。そんな気がしてる。
 自分にとって何が幸せなことかを考え続ける。そして、お金や物の魔力に取りつかれない。そうやってこれからも生きていきたいと思った。

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