休まないってそんなにエライのか
ワタクシが子どもの頃は、学校を休むことは悪だった。病欠はまだしも、どんな理由であれ「行きたくない」のは間違いなく悪だった。
いじめの認識も、学校も親もいまよりも意識が低かったと思われるので、たとえ理由がいじめられるからであっても、「学校に行きたくない」と発言するのは勇気を要することだった。
そんな時代のワタクシは微妙に病弱な子どもだったので、比較的欠席が多かった。だから、具合が悪いときに学校を休むことに、全く抵抗感なく成長した。
つまり、皆勤賞とは100%縁がなかったということだ。
目指したこともない。というよりは、目指す意思が芽生える年頃には、目指す資格は既になかった。その後、皆勤賞にうらやましさを感じることすらなかった。
だが、皆勤賞は表彰される。教室の雰囲気としては、よく休む子よりも休んだことがない子の方がエライ、という構図が出来上がる。仮病だ何だとサボっているのなら理屈は通るが、傷病欠でもそうなるのは、何となく納得がいかなかった。ワタクシは、子どもの頃から理屈っぽい。
サラリーマンだった時代も、休暇を取ることに罪悪感はなかった。自分の仕事の調整さえつけばかなり休みやすい職場であったが、それでも「ザ・昭和」な上司はいた。かつては24時間戦い、それを部下にも求める類だ。
直の上司ガチャのハズレ具合によっては、思うように休めなかった人もいただろう。「休暇は悪」思想が刷り込まれた人もいただろうし。
しかし、ずる休みはともかく、具合が悪ければ作業効率も悪い。ワタクシは生理休暇も堂々と取っていた。「オトコに引けを取らないよう、生理休暇は絶対に取らない」という女性職員もいたが、ワタクシは「オトコはそもそも生理痛の悩みはないから、そんなところで張り合わない」と決めていた。
そんなワタクシをどのように見ていたのかはわからないが、これがまた、「なぜそこまで休まないのか」という同僚がいた。
その人は、同居の親御さんが亡くなった翌日に出勤してきたことがあった。「六曜の都合で今日は何もないから」と。
さすがに、上司同僚束になって帰宅させたと記憶している。
確か、「有休数が少ないときに入院して大変だったから、以来、休暇を取ることに恐怖感がある」という話だったが、それにしても、休まないことをあんなに是としなくてもいいのに... と、ワタクシはいつも思っていた。
笑い話だが、ワタクシは当時の共通の上司に会議室に呼ばれ、「(件の)あの人はなぜ有給休暇を取らないのか理由を教えてほしい」と訊ねられたことがある。そこまで内面を知り尽くす関係ではなかったのに。
なお、その人の名誉のために申し添えるが、傷病や仕事の調整済みで休暇を取る他の人にケチをつけていた訳ではない。
昭和生まれのワタクシが若かった時代とは異なり、働き方も働く人の意識もだいぶ変わってきたと思う。
それなのに、新型コロナのワクチン接種や副反応のために休暇を取ることを憚っている人々がいるのだと、ニュースで知った。
ワクチン休暇を設定しているのは、一部の福利厚生面が優良な企業のみであろう。しかし、任意での接種とはいえ、接種が推奨され副反応がほぼ確実に出るワクチン接種で、雇用側が休暇を好意的に認めないのはどういうことなのだろう。
サラリーマンを卒業した身で、組織に属す人々をギャラリーとして遠くから眺めるワタクシは、こんなことを考えた。
皆勤を表彰するからダメなんじゃないのかな。
小学生、いや、幼稚園や保育園のときからか。とにかく幼くて自分で正しい判断ができない時分から、「休むことは悪」だと刷り込まれる。だから経営側も休める制度に前向きにならないし、労働者側も休むことにためらいを覚える。
そんなことを考えてしまった。
欠席や休暇が悪なのではなく、皆勤賞が悪なのでは…
熱が出ても出勤するのが美徳な時代は、もういい加減終わらせてほしい。社会全体で、もう少しやさしい方へ向かっていってほしいものだ。
でもさ、労働しない生活を1年以上していると、毎朝必死になって出勤していたあの頃が、少しだけ懐かしく思える。最後はサイコ系の上司から逃げ出さなくてはならない羽目になったというのに。
なんだこの社畜脳は。
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