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11月に思う

 11月は旗日が2回もある。今となっては生活に何も関係ないが、サラリーマン時代は11月がうれしかった。夏休みと冬休みの間で、疲労が溜まった頃に休めたからだ。

 ただし、教育産業で仕事をしていた都合上、基本の仕事は、週の中で時間割のように決まっていた。だから、この旗日が何曜日に当たるのか、というのが大問題だった。仕事が休みだからといってなくなってしまう仕事などなかった。休みになった分、どこかで取り戻さなくてはいけなかった。

 しかしまあ、幸か不幸かいまはそんな心配とも無縁だ。無縁すぎて、ありがたみも全くないのは少々さみしい。化学物質過敏症でも、気にすることなく働ける職場はないものだろうか。

 ところで、旗日という言葉をご存知ない方もいらっしゃるだろう。
 現在であれば、国民の祝日のことだ。最近はとんと見かけないが、ワタクシが子どもの頃は、祝日には玄関先に国旗を掲揚する家がけっこうあった。だから旗日という。ワタクシは昭和生まれなので、ついつい旗日と言ってしまう。

 実家のお向かいのお宅でも、おじいちゃんがご存命の頃は祝日に日の丸を掲げていた。玄関先には、旗を立てるためのホルダーがあった。

 実家は日の丸を上げない家だったので、年に数回、お向かいの旗を見ると、なんだかうらやましかったことを覚えている。右とか左とか、思想のことなど何も知らない頃だったし、単純に「うちにも飾ってみたいなあ」と、思っていた。
 なお、お向かいのおじいちゃんは、確か公務員だった。もしかしたら、公務員の家では国旗掲揚率が高かったのかもしれない。

 いまは、国旗や国歌について書いたりすると、思わぬ方向へ話が持っていかれることがあるので、このくらいにしておく。ワタクシは、たいした思想など持ち合わせていないのだけれど。

 今日のこの話は、ただの11月の思い出話だ。 

 最近、子どもの頃のことをよく思い出すようになった。この話もそのひとつだ。
 母も最近、昔語りが増えた。

 ワタクシの脳も、老化に向かっているということなのだろうか。やだなあ、もう。まだやりたいことはいろいろあるのに。

 次は何を思い出すのだろうか、ワタクシ。
 

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