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いつもうつむき加減で未来への期待がない

そんな世界に僕たちは生きている?

見栄えとかそんなものばかりに意識が向いてしまって、結局一番重要なところを見逃してしまう、そんな世界。

わかりやすい評価のみで何かを見てはいけない。

そのようなもので人様を判断するなんて・・・

そんな愚かなことをするのは良くない。

不完全だからこそ人を評価したがる。

深く物事を考えるということをしなくなったが故に、失ったものが計り知れないくらいに多いのだ。

自分には誇れるものがない、なので何か誇らしげな目をしている人が憎くなるらしい。

足を引っ張ろう!
何故かそっちの方向に思考を張り巡らせてしまう。

SNSで炎上してるあの話題。

差別だなんだと声高らかに語るあいつやこいつ。

そんでもって自分を守るために身につける無駄な装備たち。

自分の行動を正当化するためにいろんな武装を施す。

自己中心的な解釈で「自分だけを守る武器」

そしてその武器は他人からしてみたら「凶器」いや、「狂気」か。

多くに人がいる中で主張する「自分の生きる道」

違う。

自分の生きる道は誰かとともに利用する道でもある。

そんな場所で好き勝手にその道を使ってたらみんなはどう思うか。

「鬱陶しいやつ」
「あまり関わらない方が良さそう」
「別の道を探そう」

結局、そうして他の人たちはその場所からいなくなっているだけ。

快適に過ごせてると勘違いしているその先には、誰もいない。

そして、他の人たちが開拓した道を見つけては我が物顔して、その地にドカドカと踏み込む。

一定数いるのです。

それは仕方のないこと。

自分にできることは何か?

自分自身に集中すること。

自分自身に集中して、今この瞬間をしっかりと生きる。それだけなのだ。

単純なようで異常なくらいに難しい。

他人の目、綺麗にできているかどうか、自分自身の価値観。

そんなものは実はどうでもいいもの。

汚くてもいい。不細工でもいい。価値観なんて押し付けるものではない。

みんな綺麗にやろうとしすぎだ。

もっともっと汚くてもいい。不細工でもいい。

誰かがあなたを評価するとしよう。

それが君にとって何になる?

その人から評価されたらそれがなんになる?

いつでもだれかしら、自分の存在というものを何者かにマーキングするのだ。

どちみち、時間が経てば乾くのに。

嫌悪感のみがそこに残り、そのシミは消えていく。

誰かが残したマーキングという名の何かは時間が経てば消えるものなのです。

人間なのに、マーキングでしか人に「僕はここにいるよ」ということを表現することすらできない哀れで醜い存在。

関係ない、僕の人生は僕でしかないのです。

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