見出し画像

人生の指標

哲学者の言葉というものはなんだか、難しくて厳しいことを言っているように聞こえる。

普通は考えないような『よき死とは何か』とか、『勤労の意味』とか、あるいは『フェミニズムについて』しまいには『宇宙人とはどこにいるのか』というところまで、幅広い。

しかも、考えるとなるとだいぶカロリーを消費するようなことばかり。

生きる上で先生みたいに導いてくれるものもあれば、自らの学びたいという姿勢がそこまで自分を運んでくれるようなものだったりする。

どうしてこういう世界なんだろう?と思って、最初から自分で考え始めようとすると、それは果てしなくて、光が見えないところで彷徨っている感覚に陥ってしまいそうになる。

もうすでに、そこの道に光を当てがい、通りやすくしてくれているのが、哲学者なのかな?と個人的に思っている。

そこで、そのことについて知った時に、それで満足してしまうか、それともそのきっかけから人生においての何かを掴んでいくかがどうやら重要そう。

知った気になって、慢心していると心がブスになる。

実はみんな、誰かに嫌われたくないという気持ちをどこかに抱きつつも、漠然と不安を抱えるだけで、それに対しての対策みたいなことをできていない。いや、手探りで自分なりに何か答えを探すということをしているのかもしれないとも感じる。

結局そこは、果てしなく遠い目的地のように、答えがそうそう見つからなくて、途方に暮れてまた、答えが見つからないまま次の悩みに直面してしまったりする。

軸がブレ続けて、なんとも不安定な状態に陥る。

実は、そういう悩みとか、考えても考えても答えが出てこないようなことを言葉にしてくれているのが、昔の哲学者だったりするのかもしれない。

わかりやすくて、スッと頭に入ってくるものもあれば、頭の中がグルグルと掻き乱されて思考停止になってしまうようなこともあるけど、答えは確かにその中にあるというものばかりだ。

大抵のジャンルのことについて、誰かしらが専門的に簡潔に教えてくれていたりする。

そこからさらに深ぼっていくか、ひとまずは自分の悩みを解決できたからOK!というふうにするかはその人たち次第ではあるけど。

一見、難しいことを辛辣に述べているように思えるかもしれないけど、実は彼らは誰よりも人間を、人間らしく生きるようにと導いてくれているのかもしれないとも感じることができる。

今自分が生きてるこの日本の東京というものをざっと見渡してみると、どこか心に大きな穴が空いている感じというか、なんというか。

何かに対してのコンプレックスとか、闇を抱えつつも見ないふりをして自転車操業的に生きているのかな?と思うことがある。

金銭的な豊かさと心の豊かさと二つあるんだとしたら、そのどちらもが、中途半端に欠けている感じだろうか。

どちらにせよ、豊かさというものは自分の中で大きく変えることのできるもの、いや自分の中からしか変えることができないものだったりしそう。

そんな時にふと、立ち止まって昔の人たちの知恵を借りるということは案外自分の人生を豊かにするために必要なのかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?