他人の所為?

何かにコミットしようとする時、人は他人の所為にしてその問題から逃げようとする。

それは、その問題に自分の力でコミットできるかが不安だから?

もしかしたらうまくいかないことのために他人の所為という武器を使って、万が一の不測の事態に備える。

経験に乏しい年代の時にやりがちなこと。

それはあくまでその場しのぎの、いや凌げるかどうかも怪しい諸刃の剣。

それでもどうしてそれを使うかって?

経験が乏しいもんで他の術を知らないからだ。

んー、というよりもなんというか・・・

ゲームにおけるレベルアップのための経験値稼ぎというのは、あくまで過程であってレベルアップして強くなった世界に目線が行ってるので実はそこまで意識しない部分であるということ。

ただ、この人間の世界においては、そのレベルアップのための経験値稼ぎというのが大半の割合を占めて、そしてその後に目の前に現れる大きな敵との対戦というのは、実はそれほど重要な物ではないということ。

自分の思い通りに人生は進んでいかないと理解して、ある程度自分の人生に対しての希望や煌びやかなライフスタイルみたいなものへの憧れなどを捨て去らないといけない、そんな気がする。

それは諦めとはまた違うもの。

別の最適なルートを探すような感覚に近いかもしれない。

でも、その最適ルートを探すという行為はものすごく面倒。

SNSで見る他の人たちのキラキラした世界。

そんなものにいちいち反応して、今の自分の生き方なんてクソだ。と卑屈になるのは、今後の人生において、何になるのか。

もっと自分の奥深くに語りかける必要がある。

どうせ、そういったキラキラ人生が自分のものになったとしても、また他のキラキラを探しては比べて、また卑屈になるだけ。

大小なんてない。それは自分が勝手に決めているだけのまともな寸法すら測れないイカれた物差しだ。

自分は大変な思いをしてる?

他の人たちが大変な思いをしていないとでも?

そんな馬鹿げた思い込みはやめよう。

他の人たちも辛いことを経験しながら、この世にコミットしている。

みんながみんな僕たちに構う時間なんてないのかもしれないよ。

それでも、助けになりたいと思って、自分の時間や労力を君たちにぶつけてくれているんだ。

勝手な想像に過ぎないけど、そのくらいの意識でいた方がリスペクトの精神で相手と対話ができる。

そのほうが相手もきっと嬉しいはず。

他人の所為にしたって、結局自分のためにならない。

他人の所為にした分、自分に返ってくる。

努力不足の果てに、それが返ってくる。

仕方のないこと。

それから逃げたんだから。

自分を責めることで、いろんなものが見えてくる。

そしてもう自分を責めたくないと何かに縋ろうとする。

そして、何かに縋ったところで何も変わらないということに気づき、自分で自分のことを守るようになる。

そうすると自分とより向き合うようになる。

自分を知り、自分と向き合うことで今まで以上に考えるようになっていく。

考えるということが重要。

考えたその先に何があるのかはわからないけど、それに理由をつけるのも結局は自分。

結局、全て自分の所為。

このように生きているのも、今辛く感じているのも、誰かからどう思われているとかそういうのも、全部自分の中から出てくるもの。

だから全部全部 自分の所為なんだ。

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