見出し画像

15年後に絶望する漫画家志望②

前回に引き続き以前ツイッターに載せていた『15年後に絶望する漫画家志望』というエッセイ漫画を当時の心境とともに公開していこうと思う。

前回は小学校を卒業してから初めての雑誌投稿、初めての持ち込みについて書いた。今回はその2回目。
順調に思えた漫画家志望はどのように絶望していったのだろうか??

高2で親に啖呵を切った

エッセイ6

高校2年の時に、50pのヤクザ漫画で奨励賞を取った。
本当に好きなように漫画を描いていたので、それで結果を出せたのは嬉しかった。今思えばここが人生のピークだった(ピークはやww)

高3で他の道を捨てた

エッセイ7


大学に行くとほぼ遊んですごしてしまう人が多いという謎の情報を本気で信じていたし、漫画家になるのだから漫画以外に時間を割くのはもったいないと思っていた。

専門1年の時に漫画が描けなくなった

エッセイ8

”賞を取る漫画を描く”という意識に苦しめられていた時代だった。
そもそも短いマンガを描くことが好きではなさすぎたのもあってここから深みにはまっていく。
そんな中、同期の生徒が賞をとり、負けず嫌いの私は焦り、より漫画を描けなくなっていった。

専門2年の半ば、アシスタントになった

エッセイ9

最初に入ったアシスタントの現場はベテランの先生ということもあって厳しかった。ベテランアシが週4枚、新人でも3枚の原稿を上げなければならなかった。
さらに、チーフアシスタントだった人を他のアシスタントが裏でたくらんでチーフから引きずり下ろしたりと、人間関係がドロドロしていた。
毎日本当にしんどくて毎日死にたくなって、半年で辞めた。

アシスタント1年目、担当さんと連絡を取らなくなった

エッセイ10

ベテランの漫画家のアシスタントに疲弊した私は、知り合いのつてで月刊連載をしている新人の漫画家さんのアシスタントに入った。それだけでは食べていけないので工場で短期のバイトをしていた。
この間、新しい漫画を数ページ描いては続かずを繰り返し、いつしか担当編集とは連絡を取らなくなった。

~徐々にかげりが見え始めた漫画家志望の人生…ここからさらなる絶望が!?③に続く!!~

--------------------------------------------------------------------------------------

ここまで読んで下さりありがとうございました!!


創作漫画や日頃のことなど色々Twitterあげていますのでよろしければフォローお願いいたします😄‼️
↪↪https://twitter.com/nj_doden



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?