母の日

みなさん、こんにちは。
寝苦しくなってきたり、暑いなと感じることが多くなってきたこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
 5月は暖かい日も増え、夏に向けてわくわくする人も多いのでしょうか。
私は5月はあまり調子があがらないことが多いです。
なにもできない日も多いけれど、できないときは開き直って何もしない!精神でいます。お腹がすいたとき1日くらいお菓子でごまかしても平気だよね。なーんて感じです。

さて、記事のタイトルとなっている母の日。今年はもう過ぎてしまいましたが、母の日とか、父の日とか敬老の日とか、なんか世の中いろんな○○の日があるけれど、この家族にまつわる○○の日をこの記事の読者さんはどう感じているのでしょうか。

先日、サイトをみていたら“裏母の日”というイベントを主催された方がいる、という記事をみました。親から虐待を受けているなどの理由で、世の中の“お母さんに感謝しよう”っていう風習に賛成しかねるかたのイベントのようです。
 以前、私は母の日という日が嫌いでした。自分が生きているということが苦しくて、生まれてきてよかったとは到底思えなかったからです。なんであんなことされなければいけなかったんだろうなぁ~と思ってみたり。もっとちゃんと、普通に育ててほしかったよなとか、ごみ屋敷じゃない家で育ちたかったよなとか。理由はいろいろ。当時、裏母の日というイベントがあれば顔を出していたかもしれません(もちろん、当時はそんなイベントありませんが)。
 今は母の日が好きでもないし嫌いでもない。かといって裏母の日というイベントには参加する気持ちにはなれません。なんか、怒りとか諦めとか許すとか・・・そういう感情ではなく不思議な世界で生きています。
感謝するところもあるし、同情?するところもある。
ただ、してほしくなかったことはしてほしくなかったし、ごみ屋敷では過ごしたくなかった。
この気持ちがすべてなんだと思います。
そのうえで、自分の調子がよくない5月いあえて母の日だからって感謝をつたえるのは違う気がしていて。別に母の日でも、そうでなくても感謝できるときに、母の特性?を受け入れられるときに私なりの方法で感謝を伝えればいいのかなって。それに、特別な日とか○○の日だから感謝伝えます!といわれるより、何気ない日を特別にしたいな、と思います。
 そして、最近は親の死というものを少しずつ考えるようになってきています。


では、なんか思ったことを書いてみました。
なんかいつもより長めの文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。



 


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