「分」

「分」っていう漢字の怖さをたまに感じます。

「分」には、
1.わかる と
2.わける
の読み方があると思うんですけれども、
1.わかる ために 2.わける
っていうプロセスが基本的にあるなあと感じます。

未知=分からないもの に対して恐怖を抱くため、分からないものを理解しようとしてきたのが人類だと思うのですが、理解のためには分類=分ける が不可欠だと思っております。

そうやって人類は分類を繰り返して、さまざまな学問が生まれて発達してきたんだろうし、実際日々生きている中で、仕事でもプライベートでもたくさん分類してます。そうなることで分かりやすくなり、理解できるから。

分類は本当に素晴らしい能力だと思いますが、分類する前に、人は単純化をしているはずです。
単純化することで、その現象を認知できるようになるから。
その単純化によって、あわいが切り捨てられ、おおかた認知可能な部分のみで分類がされます。

俺のことわかった気になってんじゃねえ、という言説がありますが、俺のこと単純化して捉えんじゃねえ、ってことだと思うし、自分自身そのシチュエーションにハマること多いです。

なので、1.わかる ために 2.わける ことで理解が進むけど、より単純化された認ばかりが広がっていくことに恐怖を覚えることは多いです。

が、人と人が関わる以上、なんらかのデフォルメをしないと話が進まないのはわかります。
そう言う前提で話をしてくれる人が大好きです。

逆に、その前提があることを微塵も知らない様子で、教えてあげる、みたいな態度でむかってくる人が大嫌いです。

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