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銭湯「浜乃湯」のおもいで


 家からほど近い商店街に、銭湯があった。
 その小さな商店街には、かつてはお店が何軒もあり、肉屋、スーパー、食料品店、手芸用品屋、パン屋、寿司屋と、なかなかバラエティに富んだ通りだったのだ。
 商店街の名前は「浜乃湯通り」。通りの真ん中に位置するこの銭湯に行くのは一年に一度だけ。お祭りの日の夕方だった。

 九月の第二土曜日、毎年地域のお祭りがある。子供の山車、小学生の御神輿、大人神輿と三種類あり、御神輿を担ぐ年齢になると揃いのはっぴを借りて、友達と一緒にわっしょいわっしょいと楽しんで担いだ。はっぴを着るという非日常が、楽しさを増幅させたのだった。

 参加した子供たちにはお菓子の詰まった袋が配られるのだが、いちばんの楽しみは浜乃湯の「入浴券」だ。
 これは低学年中心の山車での参加者には配られず、中学年以上の神輿の担ぎ手にだけ配布されるという、ちょっとしたあこがれの券なのだった。

 銭湯の入浴料は通常五百円くらいだったと思うが、自宅に風呂があるので、やはり日常的には行かない場所だ。それゆえ年に一度の「入浴券」を心待ちにしていたのである。

 友達と一日中、御神輿を担いで汗だくになって、そして銭湯へ行く。「お祭り」や「友達と一緒のお風呂」という非日常が相まって、ワクワクとウキウキは最高潮を迎えっぱなしになる。

 板張りの床、大きな体重計、仕切りの壁の大きな鏡。慣れない、熱すぎるお湯と冷水しか出ない蛇口を使ってなんとか適温を作るのもちょっとした楽しみだった。


 大きな湯船に浸かったあとは、番台の前にある冷凍ケースにへばりついて、当時なぜか浜乃湯でしか見かけなかった(なにせコンビニがない時代だ)たい焼きアイスや、グレープ味のパナップを選んで食べた。コーヒー牛乳も飲んだ。


 その最高の気分のまま、浴衣に着替えて神社の縁日へと繰り出すのである。
 今考えるとそんな体力よくあったなあ……と感心する。なにせ子供だ。楽しいとほぼ無限に力が湧いてきたのだろう。

 ここ数年、お祭りは山車も御神輿もすたれ気味なのか、とにかく子供の数が少ない。銀行の社宅が次々と無くなったのも影響しているのだろうか。
 浜乃湯も二十年は前に閉店し、今ではコインランドリーだけが、忘れ形見のように跡地で営業している。


 そして浜乃湯がなくなる以前から、商店街では閉店する店舗が多くなっていき、今ではふつうの住宅地となっている。店構えのなごりのある建物はいくつかあるが、営業はしていない。


 新しい家が建ち、新しい人が住人になる。
 そんな新陳代謝を目の当たりにすると、町というのはやはり、大きな生き物のようなものなのだなあと再確認する。

 九月になると、山車の太鼓と御神輿の掛け声が聞こえる。昔より少しだけ規模がさびしいけれど、それでもやっぱりお祭りというのはわくわくするものだ。


 それにしても、あのころの「入浴券」に相当する、今のおみやげはいったい何なのだろう。とにかくそこが気になるのだった。
 

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