不登校特例校は不登校児童生徒の追い出しへと化すか?
不登校特例校は2005年に初めて設置されたが、その動きが活発化されたのは教育機会均等法は2017年と5年前のことである。代表的な学校として挙げられる草潤中学校は、生徒が毎日通う、週の半分、全てオンラインと凡そ3つの選択肢から自らの通学スタイルを選べ、1ヶ月毎にその計画を見直せるものだ。
それに対して、これまでの学校教育は全員がクラス毎に同じ時間割、同じ教室で受けるいわゆる一斉授業型が主流であった。この方式の中では児童生徒は選択肢が無かった。自分の存在の有無に関わらず授業は勝手に進められ、体調不良で1週間も休めば浦島太郎の気分を味わうことができる。
不登校の定義にあるような「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること」に陥らずとも、現在の学科教育には児童生徒を容易にその小社会から退けようとする。
この不登校特例校の取り組みのみに焦点を当て、学校教育そのものの変容に目を向けないことは、「社会的要因や背景」には学校教育は含まれていない、教育=善の前提に立ってしまっていると指摘せざるを得ない。現在の学校教育の仕組みの中にオンライン授業での履修認定あるいは習得認定を組み込むような、既存の学校教育にメスを入れる仕組みとセットで、そのような緊張感の中で捉えねばならない。
それでも尚、不登校特例校のみに焦点を置くと言うのならば、時空間が圧縮されるポストモダニティの中で、単なる学校教育ー不登校特例校間という空間の移動のみに限って不登校という現象の複雑さを捉えることの妥当性を提示しなくてはならない。安易な構図による対症療法的な新たな制度の追加は、容易に形骸化を招き、導入したタイミングで有していたであろう、あるいは目指していたであろう性質への軽視にも繋がる。
不登校問題に対して森田(1991)が「グレーゾーン」について触れてから、30年が経った。今も尚私達はまた安易な通う/通わないの二項対立に巻き込まれようとしている。
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