見出し画像

思い込みを剥がして

先日、こんなnoteを書いた。

どう接したらいいかわからなくなってしまった人と、これからどうやって接していこうという話だった。

結論から言うと、そこまで大きなストレスもなく接することができている。正直言って、メールを開くのはまだしんどい。
でも、対面で話すことについては、あんなに心配していたのはなんだったんだろうと拍子抜けするくらい、きちんとこなせている。

◇◇◇

どうしてこんなギャップが生じたのかを考えてみると、2つの要因が浮かぶ。

1つには、私が怖がるあまりに悪いイメージを膨らませすぎていたことがあると思う。

またあんな風に傷つくかもしれない、こんなことを言われるかもしれないと過去のことばかり思い出して、また同じことが起こる確証もないのに心配してしまっていた。

しばらく連絡を断っていたことも相まって、妄想が膨らんで仮想敵を作り上げていたように思う。
実際に対峙してみたら、そこまで悪いものでもなかった。

◇◇◇

2つには、対策をしっかり決めておいたおかげだと思う。

上のnoteに書いた3つの作戦を頭に入れてあったために、接する中で「どうしよう」と思う場面があっても、作戦に沿って接することで平常心を保つことができた。

冷静な時に考えただけあって、作戦通りに接するとトラブルにはならない。
自分だけのお守り、芯のような存在になっている。

◇◇◇

思えばここのところ、「絶対にむり」と思っていたものを打ち破ってばかりだ。

生活の中に目標を立てるのは向いていないと思っていたけれど、今月の目標を立てた。
運動や早起きは続かないと思っていたけれど、やってみたら気持ち良くて、続いている。

そして今回のことも。
あんなにもうこの人とは金輪際関わりたくないと思ったけれど、やってみると意外となんとかなっている。

どうしても苦手なことや不向きなことからは距離を置いていいと思っている私だけれど、そうやって距離を置いてきたものの中に、こんな風に「やってみると意外とできる」ものが含まれているかもしれない。

できると言っても、必要性が無いならやらなくていい。
でも、本当はやりたいのに、あるいはやった方がいいのに、「できないから」と自分で思い込んでいるばかりに距離を置いているのだとしたら、それはもったいないと思う。

自分の中の「向いてない」とか「できない」って思い込み、もっと剥がすように心がけてもいいのかもしれない。
失敗が不安なら事前に作戦を立てておけばいいのだし。
私はもっと自由で、なんでもできる。


最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。