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どんな時にむっとしますか?

「どんな時にむっとしますか?」と聞かれた。
あまり考えたことのないテーマだったけれど、少し考えてこう答えた。

”失礼なことをされた時です”

”失礼”と言っても抽象的だけれど、その時思い浮かんでいたのは、こんなふるまいだった。

・ちょっと話しただけで決めつけてくる
・こちらの話を聞かない
・プライベートな部分にずけずけと入り込んでくる
・そんなことをしている場合ではないのに、不機嫌を隠さない

これが”失礼”の定義なのかはわからないけれど、少なくとも私は”失礼だ”と思ったわけだ。

◇◇◇

こうして文字にしてみると、私はパーソナルな部分を尊重してもらえないと嫌なのだと、改めて気付く。
大して私のことを知らない人に偉そうにアドバイスされたとか、事情も知らないのに文句を言われたりとか、むっとするのは大抵そんな時だ。

言い方にもよるかもしれない。
「そんな言い方しなくたっていいのに」という怒り方をよくしている。
同じことでも、私のためを思ってくれていることが伝わるような言い方をされると、不思議とそこまで腹は立たない。

そして、その場の目的に沿わないふるまいも、あまり好きじゃないのだろう。
「そんなことしててもしょうがないじゃん」とよく思っている気がする。

いつもどんな時でも空気を読んで従えとは言わない。
例えば、会話の中で無理に笑ったり、思ってもいないことを言ったりしなくちゃいけないとはまったく思わないし、他人にも求めない。

でも、せっかく1つの目的に向かって(複数人で)何かをしている時、目的達成を遠ざけるようなことをされると、嫌だな。
人間は機械じゃないんだから、周りの気持ちを削ぐようなことはしたくないし、してほしくない。

◇◇◇

要は、”想像力”と”謙虚さ”と”礼儀正しさ”に欠けた振舞が好きじゃないのかもしれない。

・自分に言わないだけで、相手にも何か事情や考えがあるのかもしれない、と考える想像力
・自分が正しいとは限らないという謙虚さ
・相手が不快にならないような言い方を選ぶ礼儀正しさ

細かく考えるとこうなるけれど、雑にまとめると”思いやり”と言えるのだろうか。
他者に何もかも譲るのではなくて、あくまで自分をもった上で、他者には丁寧に接するというか。
”あなたはあなた、私は私。でもどっちも大事で大切に扱わないとね”というか。

”思いやり”の定義なんて人それぞれだろうけど、私の場合はこんなことを”思いやり”と捉えているらしい。
誰に教えられたわけでもないので、きっと生きている間に醸成された感覚なのだろうな。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。