見出し画像

選ばなかった方の人生

お盆のおかげで、たくさんの人が帰省している。
私が住んでいる地域にも、たくさんの人が帰省している。

出かけた先で、会話の内容から帰省していることが読み取れる人に囲まれることもある。
私はそんな時、いつも”選ばなかった方の人生”を想像してしまう。

◇◇◇

私が学部4年生の冬、かつて所属していたサークルの先輩が結婚した。
この地域の出身で、ストレートで文系の学部に進学し、学卒で東京に就職。
1つ下の会社の後輩に、誕生日に某ホテルのスカイツリーの見えるスイートルームで、ティファニーの指輪と共にサプライズプロポーズされた。
2人の勤務先は大企業で、お相手は東京出身だった。

ここまでいろいろ揃うと、ものすごく下世話だが「勝ち組」という言葉が頭に浮かぶ。
―学卒で大企業に入ってすぐに結婚って、「正解!」って言いたくなるような人生だな
―大企業だから、産休・育休の制度が整っていて、子どもが生まれても働きやすいんだろうな
―相手の両親と良好な関係を築ければ、育児も手伝ってもらえるんだろうな

いいなあ。

◇◇◇

文系で院に進むと決めた時、私は学歴と言う面で少数派になった。
別に”他人と違うことがしたい!”なんてロックな気持ちで選んだわけではなくて、ただ進みたかったから進んだだけだ。
私にとって自然な選択が、大多数の人たちが選ばないものだっただけ。

ただそれだけのことなのに、何度嫌な目にあったことだろう。
”いつまで遊んでるの”といきなり説教してくる人もいたし、”女の子で文系で院なんて、もう結婚も就職もできないな”と嫌味を言う人もいたし、”モラトリアム延長かよ”とからかいをぶつけてくる人もいた。

ただ、私がしたいと思ったことをしただけでそんな風に言われることがどれだけ悔しくてやるせないことかなんて、言った張本人たちは一生理解しないのだろう。
そういう人たちはなぜかこちらのことを一段下に位置づけているから、こちらがどれだけ筋の通った主張をしても聞いちゃいない。

絶対にありえないことだけれど、”学卒で就職していたらどんなだったかな”と想像してしまうのは、そんな時だ。
あまりのわかってもらえなさ、度を越えた決めつけにうんざりして、誰からも気にされないような平均的な人生だったらどんなに心穏やかに過ごせただろうと思ってしまう。
何度思い返しても自分がそんな選択をしたとは思えなくて、最後には苦笑するのだけど。

◇◇◇

”こうしたい”と思うものが、世間の大多数と自然に一致すること。
やりたいことが特に無いこと。
自分の意思より周りの考えを優先すること。

これは立派な才能だと思う。
私には、”世間の大多数に合わせる”という才能が無かったのだ。

食指が動かないものを”周りがそうしているから”という理由だけで選ぶことが、どうしてもできない。
自分なりの理由を求めたくなってしまうし、見つからなければやりたくなくなってしまう。

そんなことを言う割に、何を言われても平気なタフなメンタルをもっているわけでもない。
これからもあれこれ言われて、その度にもやもやするんだろう。

選ばなかった方の人生のことは永遠にわからないけれど、選んだ方の人生のこれからを生きることはできる。
少数派として、これからどんな風に生きていこうか。


最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。