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ご飯を食べるだけで喜ばれる場所

昨年の今頃より少し前の話だ。
あまりにしんどくて、逃げるように実家に帰った。

細かな状況を思い出すと、今でも泣きそうになる。
人間関係と研究と体調と、全部が絡み合って大きなへどろみたいになってのしかかり、潰されそうだった。

ある日、私の人生の中でワースト3に君臨し続けるであろうひどいできごとが起こって、寝つけない上に寝ても寝た気がせず、頭も動かなくなった。

限界だった。
このまま1人でいたら死ぬかもしれないと思った。

その頃、実家とはいろいろとうまくいっていないこともあったのだけれど、1人でいるよりはましだろうと帰ることにした。
週のど真ん中、平日に帰省なんて本来なら困るはずなのに、快く空港まで迎えに来てくれた。

実家に着いて、夕食を食べている内に涙が出た。
何がきっかけだったのかはわからない。

汁物をすすりながらぼろぼろと泣いている私を見ても、父も、母も、何も言わなかった。
まるで泣いてなんていないかのように、私たちは普通に会話していた。
淡々と流れる時間の中で、涙だけがひっそりと異常だった。

次の日の昼間、目が覚めてからも布団にくるまっていると、仕事に行った母からLINEが来た。
夜に何を食べたいか、という連絡だった。

急に帰って来たのだし、わがままを言うのも悪いと思って遠慮しようと思ったが、子育て中の知人が「『なんでもいい』がいちばん困る」とこぼしていたのを思い出して、適当に返事をした。

リクエストをしただけで、母は喜んでいた。
夕飯を食べるともっと喜ばれた。

ただ、食べたいものを食べたいと言い、食べるだけで喜ばれるのが、私には驚きだった。

いつもいる場所、つまり大学院の中では、そんなことはありえない。
とにかく何か成果物を出して、価値をアピールしないと認めてもらえない。

そんな、そこにいるだけでいいと言ってもらえるような場所にいるのは、久しぶりだった。

実家には2日ほど滞在したけれど、私は今の自分を取り巻くあれこれについて、何も言わなかった。
ご飯を食べるだけで喜ばれる場所が自分にはあるのだと確認できただけで、十分だった。

ストレスや不安を抱える人を見る度に、ご飯を食べるだけで喜ばれる場所が、この人にあればいいのだけれどと思う。
それが実家であれ、いつも行く定食屋であれ、パートナーの家であれ、どこであれ。
ただいることを喜んでくれる場所が。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。