人と比べても意味のないもの

昔から、どうしてか他人と違うところが気になってしまって、面倒な人だと思われていた。
怒りたいわけではないのに怒ってしまって、怒ったことを他人に責められて悲しかった。

授業中、ぶつぶつと独り言が止まらない男子。
決まり事を守らないバイト先の同僚。
乱暴な日本語を遣う留学生。

嫌だと思って、こっそり愚痴を言って、その度に諌められた。
どうやら「私が気にしすぎ」のようだった。

いいじゃんそれくらい
許してあげなよ
気にしなきゃいいじゃん

人からそう言われる度、「心が狭い私が悪い」と自分を責めた。
もっと寛容に、おおらかに。
みんな受け容れているんだから私もそうしないと駄目だ。
もっと嫌なことされても許せる、器の大きい人だっているんだから。

だけど、ある日ふと「つらさを他の人と比べたって意味が無いんじゃないか」と気付いた。
他の人が気にならなくたって、嫌なものは嫌なのだ。

確かに他人を受け容れることは大切だけど、それって自分を犠牲にしてまでやることなんだろうか。
他人を大切にしたいなら、その主体である自分をまず大切にしないといけないんじゃないだろうか。

そう思った時から、無理に受け容れようとするのをやめた。
拒否するでも受け容れるでもなく、ただ心の中でそっと距離を置くことを覚えた。
そうしている内にこだわるべき所とスルーしてもいい所の区別がつくようになって、実際に寛容になった。

嫌なら嫌だと感じない所まで距離を置けばいいだけの話で、「嫌だと感じるセンサーの鋭さ」を他人と比べても意味がなかった。
私は私、人は人だ。

あなたが嫌だと思うなら、嫌でいい。
それを他人に押し付けさえしなければ。
違う感性を尊重し合って、生きていければいいね。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。