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巨人の肩の上に立つ

最近、よくyoutubeでクラシック音楽の動画を巡回している。
中でも気に入っているのが「パッヘルベルのカノン」という曲だ。

ヨハン・パッヘルベルの「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」(独: Kanon und Gigue in D-Dur für drei Violinen und Basso Continuo)のカノンは「パッヘルベルのカノン」の名で広く親しまれている。

しばしば、クラシック音楽の入門曲として取り上げられる。また、ポピュラー音楽において引用されることも多い。

出所:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%B3_(%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB)

多分、誰しも一度は聴いたことがあるであろう、有名な曲だ。
youtubeでもピアノだけのものや他の楽器との合奏用にアレンジしたものなどたくさんの種類があって、聴いていて飽きない。

ちなみにいちばんのお気に入りはこの動画だ。

チェロの音がすごく艶やかで、聴いてるだけで癒される。

で、また最近読んでいる漫画の話になるのだけど、漫画の中で、古典曲を弾く場面が出てくる。

古典曲は歴史があって、それだけいろんな人の弾き方や解釈が積み重なっていて、重みがある。
古典曲をきちんと弾いた人と現代曲しか弾いていない人の音は、深みが違う。

パッヘルベルのカノンを聴いていると、前半の「いろんな人の弾き方や解釈が積み重なっている」という言葉にも、「確かに」と思える。
遠い昔から数えきれないくらいたくさんの人が弾いてきていて、その流れの中で「自分なりの弾き方や解釈」をして、表現をする。

脈々と受け継がれてきたものに自分も参加する感じ、いいな。
私もピアノを再開したらパッヘルベルのカノンを弾きたいな。

そこまで考えたところで”?”と何か頭の隅に引っかかるものがあったのだけれど、気にしないでそのまま寝た。

次の日。
目が覚めると同時に、「いや、私もうそういうことしてるじゃん!」というフレーズが頭に降りてきた。

寝ている間に頭が整理されたのだろうか、寝る前に頭の隅に引っかかっていたものの正体が、起きる直前の、夢と現の境みたいなところにいる間にぴきーんと見えた。

そう、私も正に今、そういうことをしているのだ。

Google Scholarというサービスを知っているだろうか。
世界中の論文を検索できる、巨大な検索サイトだ。

Google Scholarのトップページには、「巨人の肩の上に立つ」という言葉が載っている。

ここでの「巨人」とは、既存の知の集合体、これまで行われてきたすべての研究を指している。

研究は、一足飛びに進んでいかない。
階段状にリニアに進んでいくという前提があって、論文の中ではこれまで明らかにされてきたことの延長上に自分の研究があるということを示さないといけない(ということになっている。少なくとも私の分野では)。

「巨人の肩の上に立つ」とは、これまで行われてきた研究の最前線に自分がいるということ、先人の発見に基づいて自分が何かを発見することを指す。

―私は今、これまでの研究者の努力にありがたく乗っからせてもらって、自分なりの考えを書こうとしてるんじゃない?
―それって、正に、古典曲を弾くようなことなんじゃない?

「巨人の肩の上に立つ」の言葉の意味はわかっていたつもりなんだけれど、音楽に重ねると真に迫って見えて。
研究と音楽と、完璧に重なるわけではないのだけど、うわーそうか、そうだったのかと噛み締めた。

漫画の中の古典曲を弾くエピソードは、「自分たちなりの楽器との向き合い方」を見つけるところで終わっている。
明確なゴールや正解のない世界だけれど、私も、自分なりの答えを見いだせたらいいな。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。