ツイッター炎上観戦のためのパンフレット

今日もインターネットは元気に燃えている。火事と喧嘩は江戸の花というし結構なことですがそれにしても最近こう、喧嘩の作法を知らねぇやつが多過ぎねぇだろうか。そりゃ作法のわかってる奴らの喧嘩は見てて面白いですけどわかってない奴らの喧嘩なんか危なっかしくて見てらんねぇよな。火事だって適度に燃えてる間は見物だけどこっちの家まで燃え移ってきたらそれどころじゃないし。なんかね、そういうの最近多過ぎ。とくにツイッターそういうの多過ぎ最近マジで。バカが多い。まぁバカが多いのは桃井かおりの昔からかもしれませんが…!

これじゃあせっかくの炎上が台無しだ。正しい炎上鑑賞を取り戻したい。気持ちのいい喧嘩がまた見たい。そこで! ちゃんとネット炎上を楽しむためのパンフレットをここに作っておこうと思う。もっとも、これはなんの根拠もなく学術性もない単なる素人の思いつきでしかないのであまり本気にされると困るわけですが、まぁでもそれを言ったらインターネットのコンテンツ大体そうだしね。本気にしないで斜に構えるの大事たいへん大事。いや本当に。

炎上から戦場へ

元々の意味での(?)ネット炎上ってブログ炎上とかだったわけですよ。一人のタレントなんかが問題発言っぽいことを言ったり(言わなくても完全なる誤解で燃えることもある。スマイリーキクチ事件を検索)、あとまぁバイトテロとかね。最近見なくなったなぁバイトテロ。ネットの風物詩にも消費期限ってありますよ。いや、別にバイトテロを見たいわけじゃないんだけどさ…そんなことはいいとして!

で、従来の炎上研究なんかはこういう形での炎上を想定してた。匿名の大多数が一人にわーっと群がって袋だたきにするイメージですね。でも最近はそういう直線的な炎上は減ったっていうか、たぶん正確に言えば炎上に巻き込まれる人と自分から巻き込まれていく人が非常に増えて、一箇所が盛大に燃えるというよりは、問題発言をした人なんかも燃えてるけどそこだけじゃなくてもっと広範囲に火が拡散して収拾がつかなくなるっていうのが最近のネット炎上の基本形。それで、その炎上の拡大過程で敵味方に分かれての戦争に発展するようになったのも最近の炎上の特徴。火の元は鎮火した後もその周辺の局地戦は続いて地下火災みたいになってるケースも多い。でその遺恨の地下火災が次の別の炎上の勢いを増したり、地下火災が新たな炎上を作ったりりする。

従来型の直線型炎上の啓発は企業の炎上対応マニュアルの普及などを見れば随分進んだように見えるし、プロットフォーマーの方でもNGワードをキツめに設定するみたいな直線型炎上の対策は取ってるわけですけど、今の戦場型炎上の啓発や対策はほとんど手つかずに見える。炎上の形態が変われば炎上のプロセスも変わる。っていうわけでそれを例によってなんの根拠もなく学術性もない単なる素人の思いつきでサッと素描してみよう。なにはともあれ知ることが対策の第一歩だ。

現代炎上のライフサイクル(ツイッター編)

入り口は従来の炎上と変わらない。何かしら問題発言なりなんなりがあって、一人もしくは複数のインフルエンサーがそれを叩く。それに同調する人がリツイートするなり自分も言及するなどして火の手が上がる。ブログ炎上の時代から変わらぬ由緒正しい炎上導入。

しかしここからが現代の戦場型炎上の特徴で、炎上の報を聞きつけたカウンター勢が消防隊として「いや、この人は悪くない!」と論陣を張る。こっちはこっちでたくさんリツイートもされる。炎上の中心がこの時点で火元を離れてこの二つの勢力の間に移る。ツイッターの場合はトレンド機能もこの火元移動に貢献してるんじゃないかと思ってて、あれは話題のキーワードを抽出するから「どこ」が燃えてるかじゃなくて「なに」が燃えてるかっていうのをユーザーは知ることになる。だからその炎上について色んなユーザーが意見を表明するときに「どこ」に関してじゃなくて「なに」に関して表明するわけです。

じゃあたとえば「あの○○っていう餃子屋のチャーハンが破壊的にマズすぎて食った友人が死んだ!ふざけるな潰れろ!」っていう炎上があるとしよう(ないが…)。そのときにみんなその死ぬほどマズいチャーハンを出す店についての「どこ」の話じゃなくて、まぁその話もするんですけど、チャーハンに関する個人的な想い出とかも「なに」の文脈で話したりする。「どこ」が具体的な地名や店名や人名。「なに」は具体性のない一般的な概念。だから、「店潰れろ!」って餃子屋に火を投げまくる人に対して、「俺はあのチャーハンが好きだし毎日食ってるんだから邪魔するな!」とか「場末の餃子屋に本格派を求めるクレーマー死ね!」みたいな、そういう方向からのカウンターが出てきて、炎上が戦場化する。

火を投げる側は「どこ」の話をしてるけどカウンター側は「なに」の話をしてるんで噛み合わないし、噛み合わないことで話題の「どこ」性はますます薄れて、「なに」の話ばかりになる。こうして炎上がツイッター全体に広がって、「場末のチャーハンくそマズい派」と「場末のマズいチャーハンはソウルフード派」みたいな感じで敵味方の分化も進んでいくわけです。「どこ」よりは「なに」の方が話題性が高くてみんな口を突っ込めるからな(人が死ぬ餃子屋に直接行ったことがある人は少なくても、餃子屋やチャーハンに対して何か言いたいことのある人はうんざりするほどいるはずである。そこのあなたとか!)

ここからの展開は直線型炎上には見られなかった…というか、展開の順番が変わったのかもしれないが、昔の炎上って掲示板とかまとめサイトが煽って、そこで煽られた奴がブログに突撃して燃やしてたりしたじゃないですか。したんですはい。でも現代の戦場型炎上だと従来は掲示板とかまとめサイトが担っていたいわば炎上の集客がツイッターとかのSNSの中でできてしまう。SNSの中に燃やす場所と燃やすための兵士を集める場所がある。だから火の手の回りも早いんですけど、で、じゃあ外部サイトに頼らなくなったかというとそうでは全然なくて、炎上がある程度戦場化してきてお互いに極論をぶん投げたり過去のやらかしツイートのスクショを回してネガキャン張ったりとかしあってる内に、これを戦場の前線とするならその後方では情報戦が繰り広げられていて、それがツイッター版まとめサイトのTogetterとか皆さんが今ごらんになっているこのnoteですよ。

Togetterとnoteね~。これが厄介なんだよな~。戦場型炎上ではとにかく話題が拡散しまくって次から次へと論点が出てくるから誰が何に対して怒ったり戦ったりしているのか段々よくわかんなくなってくる。そうなってくるとTogetterとnoteは便利なわけですよ。情報が錯綜しすぎて戦場で何が起こってるのかよくわからないところをTogetterとnoteは「これは○○についての戦争で悪い奴は××です!あいつを倒せば平和!」って言い切ってくれるんですよね。この二つだけではないけれども、まぁ主要なメディアはこの二つで、これがツイッター戦争においては新聞の役割を果たす。

しかし新聞が社によって固有の偏向があるように、言うまでもなくTogetterとnoteのまとめ的な記事にも固有の偏向がある。しかも新聞と違って不偏不党の理念なんか建前だとしても持ってないし、どこの馬の骨とも知らん連中が自由に書いたり編集したりできて、その事実関係をチェックする体制なんかもない。餃子屋戦争のたとえをまだ引っ張れば「場末のチャーハンくそマズい派」と「場末のマズいチャーハンはソウルフード派」がそれぞれの立場から自分たちが有利になるような戦況記事をTogetterとかnoteで書くとかは普通にあるっていうか、むしろそれ以外の目的で記事を書くことは基本的にない。俺ぐらいですよ中立の立場で書こうとしているのは。

でもそういうプロパガンダ記事がほとんどなんの留保もなしに頼れる情報源として受け入れられてしまっているのが現代の戦場型炎上で、それぞれの陣営はこれを自陣営のいわばベースキャンプとして自分たちの正しさを再確認し、凝固し、戦闘の方針を練り、これを引用する形で武器にも用いる。「このTogetterにまとめられているツイートと今みなさんがやってることは矛盾してませんかー?笑」みたいな感じで。もとより論点が無数に広がる紛争地帯で講和の可能性などゼロに等しいが、この段階ではそれぞれの陣営が違う情報源を事実ないし正義として確立してしまうので、もう話し合いとかも無理なんですよね。事実認識が決定的に違う。

このようにして戦場型炎上はツイッターを焦土にします。で火種はくすぶりつつも焦土になっちゃったからとりあえず見た目は鎮火。とはいえ事実の共有ができていないままの休戦状態なので、次にどこかで別の話題・別の部族の武力衝突が起こるとワッとまた激しい敵愾心が直接的にはそれと無関係の(以前戦場型炎上で戦っていた)部族にも再燃して戦争状態になる。こういうことをツイッター炎上っていうのは繰り返してるわけですよ、あくまでも俺史観によれば!

戦場型炎上で燃え尽きないために

最近リスクマネジメントの分野でよく使われる「Lewisの認知発達の4段階」というのがある。下の引用は保健福祉職員向け原子力災害後の放射線学習ガイドからの引用だが、検索すれば行政機関の資料とかに載ってるのが色々出てくる。何度も書いているがこの記事はなんの根拠もなく学術性もない単なる素人の思いつきでしかないのでこの「認知発達の4段階」が正確にどのような意味を持つ理論なのかということも俺にはよくわかっていないのだが、しかし読むと「これ戦場型炎上の防火に使えそうじゃん」ってめっちゃ思ったので、元の文脈からはだいぶ離れるかもしれないが引用しよう。

1.「私は知ってます」(知識がある)
2.「私は自分が知っていると知っています」(自分のことを客観視する)
3.「私はあなたが知っていると知っています」(他者と知識を共有している ことが意識されている)
4.「私が知っていることをあなたが知っていると私は知ってます(相互に相 手の視点をとることができる)

人が物事を認知するときのこの4段階を炎上兵士の一人一人がちゃんと意識して踏めば戦場型炎上の戦火も多少は抑えることができるだろう。が、1はともかく2から先はなんとなくピンと来ないので、俺なりに超訳的に噛み砕いて書き直してみる。念を押すがこれは単なる素人の遊びなので学としては決して吸収しないように。あくまで防火の道具としてこういう考え方は使える、というだけの話。

1.「私は〈それ〉を知っている」

たとえば「鳥は空を飛ぶ」ということを知っている状態、「鳥」と聞けば「空を飛ぶもの」とイメージできる段階のこと。

2.「私は〈それ〉を知っていることを知っている」

「鳥は空を飛ぶ」と知っている人はそれが当たり前のこと過ぎて自分がその「知識」を持っていることを意識していないかもしれない。しかし、まぁ世界は広いので「鳥は空を飛ぶ」ということを知らない人もいるかもしれない。わかりやすくたとえを変えると、「桜は春に咲く」という知識。これは日本に住んでいる人ならほぼほぼ全員常識的に知っていると思われるが、世界的には「桜は春に咲く」ということを知っている人はむしろ少数派ではないかと思う。そもそも桜がメジャーではない。つまり、「私は〈それ〉を知っていることを知っている」段階というのは「鳥は空を飛ぶ」や「桜は春に咲く」ということが自明の理ではなく、自分は知っている知識だけれども他人はその知識を知らないかもしれない、と理解する段階なわけ。

3.「私はあなたが〈それ〉を知っていると知っている」

上のたとえを使えば、「鳥は空を飛ぶ」ということを他人も知っていることを知る段階。自分が相手に何か言えば相手はその意味を理解することができる、ということを自分が理解している状態で、(対等かつ建設的な)議論の土台がこの段階でようやく整う。逆に言えば、最低限この段階までお互いに辿り着かないと議論は成立しないので、「お前こんなことも知らないんですかw」みたいなのは議論でもなんでもないわけですねぇ。この疑似議論を議論だと思っている輩がネットにはなんと多いこと!(※政治家にも多い)

4.「私が〈それ〉を知っていることをあなたが知っていると私は知っている」

これは「私はあなたが〈それ〉を知っていると知っている」段階に相手も達していて、そのことを自分も相手も知っている段階のこと。少なくとも〈それ〉に関しては完璧な意思疎通が取れている状態で、日本語にはあうんの呼吸というちょうどよさげな言葉もある。ここまで来れば無用な対立はほぼ完璧に避けることができるかもしれない。


以上の四段階を戦場型炎上に即して考えるために再び食うと人が死ぬチャーハンを出す餃子屋に登場してもらおう。いや、もう面倒くさいからそういう無駄な迂回いいや。そっちのが分かりやすいし絶賛炎上中の温泉むすめでたとえようとおもいまーす。

まず、温泉むすめを最初に問題視した側にはこれは性搾取なんだみたいなその人の中での「常識」があったわけです。一方でそれに対するカウンター陣営には「こんなの性搾取じゃないよこれが温泉地ってもんだよ!」みたいなそれとは別の「常識」があった。この時にどちらの陣営も1.「私は〈それ〉を知っている」の段階に留まっていて、それが食い違いを生んだわけです。

したがって戦火の拡大を止めたければ誰が悪いと非難の応酬をするのではなく(ツイッターでは不可能に近いことだが)このような道筋を辿れればよかったわけだ。どちらの陣営もそれぞれの「常識」を相手陣営が知らない可能性があることを知る2.「私は〈それ〉を知っていることを知っている」の段階に移行して、それから対話や資料の共有などを通して常識を情報として交換する3.「私はあなたが〈それ〉を知っていると知っている」に発展し、4.「私が〈それ〉を知っていることをあなたが知っていると私は知っている」に至ってそれぞれの「常識」をそれぞれが理解する。完璧。パーフェクト。平和。平和すぎてまったくおもしろくはない。

まそんなのは現実には基本的にありえない理想論だとしてもですよ。こういう物の見方を頭に入れておくだけで戦場型炎上のカオスに引きずり込まれることなく戦争を遠くから観戦していられる。どうせ止めるのが無理ならせめて客観的な観察者でありたいものだ。炎上はあくまでも娯楽。思想でも啓蒙でも聖戦でもなく単なる娯楽として、「認知発達の4段階」を片手に炎上をエンジョイしよう。出ちゃったね、最後にオッサン臭。

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