「NO」を言うための5つのレッスン
パワハラやセクハラの被害を訴える声がテレビにネットに新聞にと溢れている。悪いのはハラスメントをやる奴っていう前提の上で俺がそうした声に触れる度に思ってしまうのは「どうして被害者はNOと言えなかったんだろう?」ということで、それで全ての被害が防げるわけではないにしても、ハラスメントをやる奴なんか根性が腐ってるから自分より弱いと思った奴を標的にしてそういうことをやるのが基本なわけで、毅然と「NO」を突きつけてやればかなりの被害予防もしくは軽減効果があるんじゃないだろうか。
でもそこでまた思った。そういえば「NO」と言う訓練って今までの人生でしたことがない。それは学校教育でもそうだし、学校の外でも「YES」を求められる機会は数え切れないほどあっても「NO」を求められる機会なんか少なくとも俺の記憶にはない。友達と遊んでいる時にみんなが「YES」と言っていることに一人だけ「NO」を言ったら場が冷めてしまうし、就活の場で「御社のダメなところは~」なんて、仮に面接官から求められてもなかなかストレートには言いにくい。
日本は肯定の文化が強い国なのかもしれない。それはそれで悪いことではないとしても、弊害もやはりあるんじゃないかと思う。それが「NO」と言えなくなることであり、「NO」と言えない人を標的にしたハラスメント被害なんじゃないだろうか?
ということでそんな被害は少しでも減った方がいいので俺なりに「NO」と言うためのレッスンを考えてみた。誤解を与えないように書いておくと俺は特に学のある人間ではなく従って以下に記すレッスンも何ら学術的根拠のあるものではない。行動心理学や認知療法の知見も具体的には背景としていない。あくまでも万年アルバイターの俺が主にバイトでの経験から編み出した経験知に基づくレッスンでしかないが、ただ、俺は高校に入ってすぐにバイトを始めて以来どこでも馴染めずに一年かそこらで職場を変えながら今に至っているので、常に職場で一番立場の弱い人間だった側が考えた「NO」と言うためのレッスンとして価値があると思っているし、また実践的なレッスンにもなっているんじゃないかと思う。
自慢にもならないが俺はバイト先の先輩たちがレジ誤差数千円を横領しようとする場に遭遇して金をレジに戻させたことがあるし、また別の店ではOBが立ち寄りがてら倉庫内の品物を先輩店員と共謀して盗もうとした時にも止めたことがある。どちらも結構勇気が要って見なかったことにしようかとも一瞬思ったので(俺は身体は小さいし格闘技とかもできないので喧嘩になったら絶対負けるしその前に泣く)、こうした「NO」の意思表明は馴れていなければ難しいかもしれない。逆に言えば、レッスンを通して馴れてさえいればどんなに立場の弱い人間でも「NO」と言うことはできるのだと俺は自分の経験から半ば確信している。
閑話休題。このレッスンをひとまず「NOプログラム」と名付けたいと思う。基本的には二人以上で行うことを想定しているがここでは入門編として一人でもやろうと思えばできるレッスンを集めた。前置きが長くなったのでそろそろ具体的な内容を書いていこう。
レッスン1
まず次の三つを用意する。実際に目の前にあることが大事なので横着せずにちゃんと用意すること。
①嫌いな食べ物
②好きな食べ物
③お金
①と②は手軽に用意できるものならなんでもいい。みかんとりんごとか。③も額は問わないが千円札とかがわかりやすくていいんじゃないかと思う。なぜお金の用意が必要かというとこれは「人には渡せないもの」の象徴。なのでそれが別のもので代用できるならそれでもいいが、まぁそんな大事なものをわざわざ探すよりは千円札一枚とかの方が手っ取り早いだろうということです。
さて、①②③を用意したら講師役の人間が(一人でやる場合は一人二役)まず①を指して次の五つの要求を順番に言っていく。
A,ほしいです
B,ください
C,わたしなさい
D,わたせ
E,わたさないと許さない!
それぞれの要求に対してあなたは全て「嫌だ!」とはっきり答え、これを②③でも同様に繰り返す。
注意点としては、まず要求は必ず最後まで聞いてから「嫌だ!」と答えること。要求の途中で「嫌だ!」と答えてしまうとそれは要求に対しての「NO」ではなく逃避行動になってしまう。このレッスンはあくまでも毅然と「NO」を言うためのものなので、それは避ける。
もう一つの注意点は「嫌だ!」を明確に声に出して言うこと。また、「嫌です」や「嫌なので」のように語尾を変えず必ず「嫌だ!」で統一する。というのも「嫌です」や「嫌なので」では謙譲や気後れなど「NO」以外のニュアンスが混ざってしまうから。「嫌です」は日常生活では使うことがあっても「嫌だ!」は日常生活ではあまり使わないので、純粋に「NO」のニュアンスしかない「嫌だ!」の発声に馴れておくことが必要。
以上はレッスンを受けるあなたの注意点で、講師側の注意点としては要求A~Eと進むにつれて語気を荒げること。このへんは人によって心理的負担が異なると思うので人に合わせて無理がないように調節する。
レッスン2
レッスン1で用意した
①嫌いな食べ物 ②好きな食べ物 ③お金
に対して講師が
A,ほしいです
B,ください
C,わたしなさい
D,わたせ
E,わたさないと許さない!
とレッスン1の要領で順番に言い、受講者は物に応じて
・「いいよ」
・「嫌だ!」
を自分の判断で使い分けて返答する。全てに「いいよ」で応じてしまうと意味がないので、最低でも一つは必ず「嫌だ!」を入れること。
レッスン3
レッスン1・2の道具①②③を以下の三つの行為に置き換える。
①ジャンプ
②手拍子
③おなら
講師はその行為を順番に挙げてレッスン1の要領で以下の通り要求する。
A,してほしいです
B,してください
C,しなさい
D,しろ
E,しないと許さない!
あなたはその全てに対して「できない!」と返答する。
レッスン4
レッスン3で用いた行為
①ジャンプ
②手拍子
③おなら
と、それに対する要求
A,してほしいです
B,してください
C,しなさい
D,しろ
E,しないと許さない!
を、レッスン2の要領で
・「できる」 ・「できない!」
に自分の判断で分けて応答する。これもレッスン2同様にすべて「できる」では意味がないので、最低一つは「できない!」を混ぜること。
このレッスン3・4は一見してレッスン1・2を行っていれば不要に思えるかもしれませんが、レッスン1・2で用いた「嫌だ!」もしくは「いいよ」は感覚に基づく判断と意思表明であり、言い換えれば主観的なもの。対してレッスン3で用いる「できない!」は主観的判断の場合もありますが、「(しようとしても)できない!」の意を含む客観的なものです。
一口に「NO」と言ってもそれが単に自分が嫌だから「NO」なのか、それともやろうとしてもできないため「NO」なのかでは質的に異なります。俺の見たところ「NO」と言えない人はこの二つの「NO」を明確に区別していないことが多く、そのためにただ一言「NO」と言うべき要求に対して頭の中で二つの返答が競合し混乱を来してしまい、すぐに「NO」と言うことができない。
たとえば、「千円よこせ」の要求に対して大抵の大人は千円も持ってないということはないでしょうから客観的にはこれは「YES」で応じることもできますが、他人にただ単にお金をあげたいという人は少ないであろうから主観的には「NO」という人が多いはず。この場合、客観的(物質的)な「YES」と主観的(意識的)な「NO」が競合するわけです。
こうした意識状況を把握し整理することで「NO」と言えるようにする、というのがレッスン3・4の存在意義。参考までに要求に対する「YES」と「NO」の組み合わせを下に書いときます。
①客観的YES-主観的YES→「YES」(できるししたい)
②客観的YES-主観的NO→「NO」(できるけどしたくない)
③客観的NO-主観的YES→「NO」(したいけどできない)
④客観的NO-主観的NO→「NO」(したくないしできない)
こう見ると実はある要求に対する返答には「NO」と言うべきパターンの方が多いことがわかります。返答に困った時は自分がどのパターンに当てはまるか考えてみてください。①以外であれば「NO」の返答で決まり。
レッスン5
レッスン2と4で用いた道具と行為
①嫌いな食べ物
②好きな食べ物
③お金
④ジャンプ
⑤手拍子
⑥おなら
に対して、講師はランダムにいずれかの行為もしくは道具を指し
A,してほしいです
B,してください
C,しなさい
D,しろ
E,しないと許さない!
F,ほしいです
G,ください
H,わたしなさい
I,わたせ
J,わたさないと許さない!
の要求をランダムに行う。あなたはこの要求に対して
・「いいよ」
・「嫌だ!」
・「できる」
・「できない!」
を都度判断して答える。レッスン5で重要なのはできる限り素早く判断し返答することで、それに馴れれば実践の場でも動揺なく「NO」と言うことができると思います。脊髄反射の返答にならないよう注意しつつ、先程説明した客観的なYES/NOと主観的なYES/NOの違いを意識して返答してください。
最後に
以上が「NOプログラム」の入門編。もう少し複雑で人数が必要なレッスンも二三考えてはいるので、興味ある人がある程度集まればセミナー形式でやってみようとも思っていますが、今のところ未定。セミナーを開けば参加してみたかったりプログラムの協力を希望してくれるありがたい人はコメントかDMにてその旨お伝えください。また、上記1~5までのレッスンをやってみての感想などもコメントで大募集。修正点があれば随時改訂していきたいのでその参考にさせていただきます。
最後に、「NO」と言えるようになることはハラスメントの被害を防ぐだけではなく加害も防ぐことだと個人的には思ってる。というのもハラスメントを行う側が「これはハラスメントだ」と意識して行っているケースは少ないでしょうから(なのでそこで意見の食い違いが生じる)。もしもあるハラスメント的な行為に対してハラスメントを受ける側が明確に「NO」を突きつければハラスメントを行う側もその行為がハラスメントだと自覚することができ、大抵の場合は控えるようになるでしょう。これが被害を防ぐだけではなく加害も防ぐということの意味です。
したがって「NOプログラム」は社会的地位の低い人にも高い人にも、男性にも女性にも、若者にも老人にも、お金のある人にもない人にも等しく「使える」プログラムって言える、と個人的には思う。他人事と思わないでまぁ試してみてください。みなさんが軽はずみかつ快適に「NO」を言える世の中になりますようにの軽薄な願いを込めて、筆を置こう。
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