12/3 死について語るバー、レポ。
BGMにどうぞ。
皆さんは誰かと「死について」語ったりしてますか?
ことの発端。
プロ奢ラレヤー氏が運営する読書サークル「三ツ星スラム」内にて上記noteまとめにある死についてのオンラインミーティングをまおりさんと開いていた。1クールを8回として目指し、晴れて達成した節目にオフラインでもやってみましょうかとなり開催の運びとなった。まおりさんはアメリカ在住なのでオンラインなのだけど。
来て頂いたお客さんのほとんどが初対面。
しかもエデン自体来るのも半年振り2回目という方もいたりと、ニッチな需要を感じる味わい深い体験となった。
皆さん口を揃えて言っていたのが「死について語る」機会の少なさ。この国において半ばタブー視される話題で、しかし初対面の者同士が頭の中を開示して共有する楽しさ。
「距離感バグって言われたりしますよねw」みんな笑っていた。「踏み込んだ会話がしたい。上辺だけの会話なんて阿呆らしくて。」という声に僕はとても同意した。この日語り合った皆は、そこら辺の街で出会うよりもずっと、傷つけ合いすらも受容しあえる距離の近い関係になれたと思う。
会はサムネの質問ボードを元に進めていった。
この問いたちは、先の「死について語る」オンラインミーティング全8回+1回で問われて来たことを抜き出してまとめたもの。
このnoteもそれに準じてレポートしていく。
なぜ死を語るバーに来ようと思いましたか?
「死」自体よりも普段覗くことの出来ない「人の頭の中」を覗きたいという人もいたが一番笑ったのが「もう死にたくて死にたくてwww」という答え。
浮き沈みが烈しいのではなく(そういう人の方が苦しいかも知れないが)普段からずっと安定して死にたいという人www
「何してるときが楽しい?」と問うてみたらしばらく頭を悩ませて「う〜ん…こういう【変な人たち】と喋ってるときですかね」と返ってきてクソ嬉しかったなぁ。
僕はなんでだろ?「死」が好きだから?メメントモリ。それは親父から受け継いだ性癖かも知れない。
あなたにとって死とは?
頭の中を覗きたい人が「救済」だと。安定して死にたい人が同調し「死がないと正気を保ってられないw」と言っていて大爆笑した。
僕も死んだ本人にとってそれはそう(救済)だと思うし、死んだ他人のことは祝福したいとすら思っている。
介護福祉士の仕事をしていて死は日常にあるが、そのたびにその人が住んでた部屋に向かって、そういう気持ちで手を合わせている。
口には出せないそれを出せる場所。死バー。
「(ぶっちゃけ死んじゃったらもう自分は関係ないので)死とはリアクションである」という人もいて、ほえ〜成る程!となった。
親父が死んで僕はnoteを書いた。誰かが死んで僕は歌を歌った。死んでリアクションを得たいなら、生きた証が欲しいなら、それだけの物語を僕たちはやっていかねばならない。命を使い切らねばならない。
死生観は?
「死ぬまで待ってなさい」という考え方の人がいた。成る程それまでどう生きるかと言う問いは後に出てくるので置いといて。
施設の高齢者の中にもたまに「死にたい」と言ってくる人がいる。僕はだいたい「残念ながらまだ順番じゃないんすよね〜」みたいな返しをするので同意。
「死にたいのではなく、めんどくさいんじゃない?」という話もあり、うんうん「人類最大の敵めんどくさい」って言う漫画もあったなぁ。
死ぬまで待ってる人はこう続けた。
「『死後、裁きにあう。だから正しく生きましょう。』みたいな教えもあるけどさ、そうは言っても、寂しいよね。」
寂しさ。これは死ぬまで待ってる人のキーワードらしく、何度も口にしていた。「1人で考えてもどうにもならないので、人と関わらないと。」
寂しい。そう。死ぬのはちゃんと寂しい。ちゃんと寂しくなるためには、ちゃんと生きねばならない。
No 〇〇 No Life に入る言葉は?
(元ネタ?はMusic。「音楽なしでは生きられない」と僕は訳す。ググったら言い出したのタワレコ・博報堂なんだね、ほえ〜アメリカ辺りだと思ってた。)
安定して死にたい人が「死っすねww No Die No Life 死がないと生きられないっすwww」ほんとこの人、面白い笑。この場ではね笑。
「にわかーずさんは何ですか?」
聞かれてフリーズしてしまった。あれ?この質問ボード作ったとき、自分も答えれるように考えながら作ったハズなのに答えが浮かばない。なんでだろ?なんだろ?
音楽か?最近買ったギターか?1年かけて自己を見つめ倒したら謎に再開することになった歌うことか?絶対ちがう。あまり「絶対」という言葉は使いたくないので、「きっと」ちがうと自信を持って言える。しばらく考えて僕はこう答えていた。
「人、かな?」
「例えば今日お客さんが来なくてノーゲスト、まおりさんも通信トラブルで繋がらず、エデン横浜店長のなるみさんもすんません寝坊しましたって、この場に1人だったら……死にたくなると思うんすよねw」
「でもそういう孤独の時間があるからこそ、今のこの場がとても楽しい。だから、人かな。」読み返したら「孤独」とか「寂しさ」でもあるかも。それも「人」がいるから成り立つか。
そういう感覚でいつも歌っている。たくさんの人に聴いて欲しい。金はいらない。でも誰も聴いてくれなくてもいい。その孤独が永続するのなら気が狂うだろう。やさしい歌が好きであなたにも聴かせたい。「人かな。」
死ぬ前に言い残したことある?
ないなぁ〜という人が多かった。悔いはないという人もいた。そうだね。なにかに執着すると死ねないし、悔いなく生きたい。
でも僕は言い残したことがあるので一応言っておこうと思う。
ごめんね?愛してます。
(現時点で僕の「愛とは?」の答えは「あいてを笑顔にすること」です。このnoteを読んで少しでも笑ってくれた人、少しでも笑顔のきっかけを得た人のことを僕は愛してます)
死ぬまでどう生きる?
この問いは後回し、と前述しといて何だが、ここまでの問いに答えたならば、それは皆の心の中に生まれてくるのではないかしら。
「かっこよく死にたいね」と、死ぬまで待ってる人。
ちゃんと死にたい。ちゃんと死ぬためには、ちゃんと生きねばならない。
人生の意味は?
サムネに入り切らなかった問い。「意味などない」と言う人が多かった。(安定して死にたい人は「わからん!」言ってたけど笑)
やっぱりな〜。頭のいい人ほどその結論に辿り着くと僕は体感的に思っている。知らんけど。親父が好きだった仏教にも人生に意味などないという考え方があるみたいし、いつか勉強したい(するとは言ってない)
このテーマでは頭のいい人同士が喋っていて頭のわるい僕は理解が追いつかなかった。「頭のわるい僕わぉ〜ん(泣)」ってなるし理解されない頭のいい人も「社不ぎゃお〜ん」ってなる構造が好きではないので、チャンスがあればまた話を聴いて理解に近付きたい。
つまり頭のわるい僕は、人生に意味はあると思っている。
頭のいい人に「それだと問い自体がちがう」と言われるかも知れないが、死んだあの人に、あの命に意味がないなんて。人生に意味がないのだとしたら、この宇宙に意味がないことになる。そうかも知れない。分からん。
僕は人類を1つの脳だと捉えていて、とすると我々は1つのニューロン。情報を受け取り、次に受け渡すのが役目。その電気信号の一瞬の光が命なのではないか。
さいごに。
こういう人もいた。
これに対するアンサーというか、自らの死をもって主張を補完した本があると友達から教わったので貼っておく。あまり読みたいとは思わないのだけど。。。
死について語るバー、ニッチな需要があり僕も面白かったので、またやりたいなぁというお気持ち。以上、レポでした。
来てくれた人、読んでくれた人、エデン横浜さん、まおりさん、楽しい場を作ってくれてありがとう御座いました!
「いつか死ぬ皆に、乾杯」
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