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7/22 死についてのハドル【第1回 笑いと死】まとめ

ハドルとは

Slack内のZoomみたいなもん。

死について

僕は「死」が好きで(笑)よく考えたり書いたりしている。「死」で自分のnote検索したら10本くらい出て来た。

ある日いつものようにSlack内の個人部屋で死についてブツブツ言ってたら、まおりさんが「そのテーマでハドルしませんか?」と。

「ハドルしませんか?」はミームにもなっている(笑)し、まあ「死」、好きな人もいるよねぇ〜と流してたのだが、またあくる日に下のツイートを元に「僕って(センスあるなしは置いといて)冗談言ってないと死ぬのかな」とかブツブツ言ってたら「そのテーマでハドルしませんか」って再び言われて、じゃぁやろうと。2回、言われたことが大きい。

という前置きからハドルスタート

言い出しっぺのまおりさんに「なぜハドルしようと思ったか」と問いを飛ばした。すると「希死念慮」というワードが出たので「それって前向きの?後ろ向きの?」と質問したらば「前向きな希死念慮って何〜?」と参加者から問いが来たので、僕の考えを述べた。

「ちゃんと死ね」

「死ね」って言葉、僕はわるくないと思っていて、少し付け足すなら「ちゃんと死ね」になる。ちゃんと死ぬためには、ちゃんと生きねばならない。

コレに反応が多くて嬉しみ。「ちゃんと死ね」は今後のシリーズハドルで根底に流れるものかも知れない(流れないかも知れない)

余命半年と言われた親父が5ヶ月経った頃、母親から親父の前で相談された(私は介護士である)。「エンシュア(栄養剤。カロリーメイトみたいで美味ちい。)飲まなくなっちゃったんだけど、どうしたらいいと思う?」これに対して僕は「んなもん、飲まなくなったなら満足したんちゃう?もう死んでもいいって、覚悟できたんちゃう?好きにさせ。」とテキトーに答えた。ほんだら目の前で親父、エンシュアごくごく飲み干してやんの。ちゃんと死んだんだね。

笑わせるか、笑われるか。

「ギャグセン」ツイートについて話していて

最高じゃん。

お笑い芸人もそうだし、笑わせる方がえらくて笑われるのは恥って言うのがたぶん一般的なんだろうけど、僕は笑われるので良いと思うし笑われていたい。出川さん的な笑い。

「お前は狙ってない時の方がオモロい」とは学生時代からよく言われていたし、笑わせようとして力が入ると、だいたいスベる。

さいきん5時間齧った合気道的でもある。余計な力を入れない、辞める、諦めると、だいたいのことは上手くいったりする。

そうだね、居るだけで人を笑顔にできるなら、ステキなことだね。

「救いたい人は救われたい人」という風潮は浸透してるけど、笑わせたい人は笑いたい人なのかも知れんね。笑えばいいと思うよ。

対して「笑われる」というのは「勝手に救われる」に近いのかもなあ〜。僕たちは人を救うことはできない。

「ちゃんと死ね」ない時、心はどうなっているだろうか?

「ちゃんと生き」てなかった過去を乗り越え

「ちゃんと生き」られたらQOL(生活の質)は上がる。このワード、介護士なら必ず履修する言葉。

介護の現場を知らない人が想像するであろう一番の仕事は「尻を拭く」ことだろうと思う。なぜそれが必要になるかと言うと「ADL(日常生活動作)」が低下しているから。例えば麻痺のある人や脳機能障害のある人。

しかしこのADLとQOLをセットで履修する我々ケアラーにとって、より重要な仕事とされているのはQOLの向上なのだ。どうしたらそれが成されたと言えるか。分かり易いのが「笑い」ということにもなる。

鬱をどう生き延びたか?

まおりさんからは(個人的な)認知の歪みを矯正して健康に向かわせてくれた本として2冊、挙げて頂いた。


もろこしさんからは「ともだちの存在」「心がまだ自殺してなかった」と話があり、後者が興味深かったので深堀りリクエストしたら応えてくれて出たワードが「死にたくねえ!ウオー!」強制的に「心を揺さぶる衝動」

ーーーこんなとこで死んでたまるか!


「笑い」「ユーモア」が命をつないだ本として、コチラは課題図書になるのかも。

本、認知、ともだち、衝動、ユーモア、芸術と色んな話がありましたが、僕の場合、鬱から救ってくれたのはパチンコ屋でした笑。(サムネ回収)


長くなったので、続きはまた。

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