「巨乳の誕生」序章読書感想文。
いきなり面白い。
「巨乳」が一般的ではなかった80年代に、巨乳ファン憧れの店であった「ヴイ・レックス原宿」のエピソード。
『バチェラー』の広告を見た人は「巨乳AVがたくさん並んでいた」と言い、『宇宙船』の広告を見た人は「特撮映画とテレビヒーローのビデオがあった」と言い、お互いそれ以外のビデオの印象はなかったようだ。
「我々はなぜ巨乳に惹かれるのか」という問いを持って読書しているのだが、性欲を食欲に置き換えると分かりやすいかもな?と思い立った。
私は性欲はつよいが食欲はうすい。
前に「バーミヤン行こ?」と誘われて「どこにあるの?」と聞くと「駅前にあるじゃん」と言われて、全く目に入ってなかったんだなと気付かされたことがあった。
「飯テロふおおお」とかなってる人達をみて、食欲のうすい私は「食い意地(食欲)あるなあ」てただ思うのよね。
なぜ巨乳には目が行くのか。
巨乳をたべるのは栄養過多なのか?
マニアとはそういうものなのだ。
セックスよりもおっぱいを見たい
この時代、巨乳ものは海外モデルが中心だった。これが売れると確信して立ち上げられた、日本初の巨乳専門AVメーカー「VCA」の映像に対する拘りが綴られている。
身体の動きと共に揺れる乳房、自らの指で揉みしだき変形する乳房。光と影を効果的に使った幻想的な映像も美しい。
さては筆者、筆が走ったな?
米ポルノ映画の巨匠ラス・メイヤー監督の影響によるものか「カラミはなくてもいい。むしろない方がいい。カラミじゃなくて胸が見たいんだから。マニアはそうなんだよ。」という考え方があったそう。
「フェチな映像を撮るのは難しいんですよ。それまではおっぱいの大きな女をただ撮ればいいというAVしかなかったところに、この角度でこう撮れば綺麗だっていうのを確信的にやってた。どう撮れば巨乳が映えるのかを、ちゃんとわかって撮ってましたね」
だそうです、プロ奢さん。
うちのDカップビデオは、Dカップのプロモーションビデオですよ。
セックスよりもおっぱいを見たいマニアックなユーザーへ向けた作りをしている
当時「巨乳」は一般的ではなく「マニアック」であったという事実…。
AV監督ですらも、巨乳好きだと公言するのは、恥ずかしい。そんな時代だったのだ。
にわかに信じがたいというか、まあ恥ずかしいのはわかるけど、みんな好きじゃなかったのか?
みんなムッツリなだけだったんじゃないか?
というのは気になる。
我々はマニアの子孫なのか?
(以降、マニアを囲えば商売になる!という話、栄枯盛衰と時代に沿った生存戦略の話、受け皿は引き継がれていく話で序章は終わります。ここまで感想など考え始めると遅くなるので終わります。)
問いだけが増えたまま、続きはまたいつか。