庭ぐらしダイアリー expresserとして生きる
最近、どうも停滞していて、どうだかなあ、、、という感覚があった。
とても不思議な時間で、めちゃくちゃどん底でもないけど、なんだか元気ってわけでもない不思議な感覚があったのだ。
頭が先に行こうとして、体が待って待って!という感覚。
何か変化の時なのか、
不思議な感覚がしばらく続いている。
これはこれでいいか、って思う。
現状維持も悪くない。
ただ、一つふっと決めたのは、
わたしは表現者として生きよう、ということ。
アーティストというと、なんだか仰々しい感じがあって
だから”expresser”がいいなと思った。
あとは、「アーティストです」というと「何の?」ってなるから、
わたしはいろいろあるから、もうこのままで行こうと思ったというのも理由である。
★
一つのゴールがあるように見えていたけれど、
実は違って、
いろんなゴールがあって、それを尊重されることが大事なんだと気づいた。
わたしは決まり切った枠にはまったものをゴールとして、
それを目指さねばならないことに、
息苦しさを感じていた。
正解以外はどこへ行っても現実逃避にしかならない、と理論的に考えたら、
どこへも動けなくなっていた。
正解は皆がわかり切ったものしかないと思っていたし、
それから外れたくても何をしたらいいかわからなかった。
そして、その確固たる正解を求めていたのは、ほかでもない、自分だった。
正解を疎ましく感じているのに、誰よりも希求していた。
相反する二つに阻まれていることに気づかず、ジタバタして生きていた。
そんなジタバタ期、
いろんなところへ行って、いろんな人の生き方を見た。
自分が好んで行ったところだから、かなり偏りがあるけれど、
わたしにとっては新しい視点や発見の連続だった。
そして今、人生が表現(これはわたしが尊敬するアーティストも言っていた)することだ、と知った。
なぜかふと身をもって気づいた。
特に何ともない日に。
そして、自分で何でも名付けられるんだということを知った。
世界は、自分と周りでできている。
もし周りがわたしを認めてくれたら、嬉しい。
だけど、周りの人のためにしているのではなくて、
わたしがわたしらしく表現し続けて、
その結果周りが楽しんでくれたら最高である。
★
だからと言って、何か目処があるわけではない。
また展示の予定が決まっているわけでもないし、
今ただ絵を書いたり、文章を書いたり、将来の旅の計画を考えているばかりである。
それでも言う意味がある気がして、ここに宣言めいた文章を残しておこうと思う。
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