庭ぐらしダイアリー expresserとして生きる

最近、どうも停滞していて、どうだかなあ、、、という感覚があった。

とても不思議な時間で、めちゃくちゃどん底でもないけど、なんだか元気ってわけでもない不思議な感覚があったのだ。
頭が先に行こうとして、体が待って待って!という感覚。

何か変化の時なのか、
不思議な感覚がしばらく続いている。

これはこれでいいか、って思う。
現状維持も悪くない。

ただ、一つふっと決めたのは、
わたしは表現者として生きよう、ということ。
アーティストというと、なんだか仰々しい感じがあって
だから”expresser”がいいなと思った。
あとは、「アーティストです」というと「何の?」ってなるから、
わたしはいろいろあるから、もうこのままで行こうと思ったというのも理由である。


一つのゴールがあるように見えていたけれど、
実は違って、
いろんなゴールがあって、それを尊重されることが大事なんだと気づいた。

わたしは決まり切った枠にはまったものをゴールとして、
それを目指さねばならないことに、
息苦しさを感じていた。
正解以外はどこへ行っても現実逃避にしかならない、と理論的に考えたら、
どこへも動けなくなっていた。

正解は皆がわかり切ったものしかないと思っていたし、
それから外れたくても何をしたらいいかわからなかった。
そして、その確固たる正解を求めていたのは、ほかでもない、自分だった。
正解を疎ましく感じているのに、誰よりも希求していた。
相反する二つに阻まれていることに気づかず、ジタバタして生きていた。

そんなジタバタ期、
いろんなところへ行って、いろんな人の生き方を見た。
自分が好んで行ったところだから、かなり偏りがあるけれど、
わたしにとっては新しい視点や発見の連続だった。

そして今、人生が表現(これはわたしが尊敬するアーティストも言っていた)することだ、と知った。
なぜかふと身をもって気づいた。
特に何ともない日に。

そして、自分で何でも名付けられるんだということを知った。
世界は、自分と周りでできている。

もし周りがわたしを認めてくれたら、嬉しい。
だけど、周りの人のためにしているのではなくて、
わたしがわたしらしく表現し続けて、
その結果周りが楽しんでくれたら最高である。


だからと言って、何か目処があるわけではない。
また展示の予定が決まっているわけでもないし、
今ただ絵を書いたり、文章を書いたり、将来の旅の計画を考えているばかりである。
それでも言う意味がある気がして、ここに宣言めいた文章を残しておこうと思う。

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