見出し画像

自分で認めて、始まる

今日はアルバイト休みなので、山へ行ってきた。いい天気で、時間もスムーズに行けた。図書館に寄ったけど、時間合わずで行けなかった。残念だけど、読む本が今日急に増えたので、いいや。

『悩んだら山へ行け』(鈴木みき)というタイトルの本があるのだけれど、まさしくそうだと思う。悩んだら、山に行くべし。適度に汗をかき、ゴールで食べたたまごふりかけのおむすびは美味しかった。

昨日から、YouTubeで『絶望のライン工ch』をおすすめされて、なんだか惹かれた。淡々と39歳の男性が自分のライン工についての話やご飯(ご飯がメインかも)の話をしているだけ。それがなぜか癖になる。映像作品としてうまいからだろうなあ。

彼を見ていると、コツコツと地道に生きて、かつ絶望というエンタメしてるな、と感じた。

わたしは性質的に芸術家らしい。こう書くと驕っているように思われるかもしれないが、確かに誇らしくもありつつ(これは否定しない)実際は大変だとつくづく思う。
というのも、誕生日辞典にそう書いてあって、自分でもそうかな、と思ってみたからだ。

昨日コーヒー豆屋さんに行ったら、誕生日辞典が置かれていた。焙煎してもらってる間に自分の誕生日を調べる。すると、「心の充足を求める芸術家。日常は火の車になる。」「日常はコツコツ、表現はぶっちぎれ」と書いてあった。

、、、いやいや、無理だろ?絶対どちらかに偏るよ。昔の文豪だって、素晴らしい作品を残しつつ私生活ダメダメじゃん。シャーロックホームズも推理は素晴らしいが、それ以外はからきしだし。(そこが親近感というか惹かれるんだけど)これがわたしの心である。

芸術家タイプ、というのは、わたしの意味付で言うと、自分のセンスや直感のヒントを見出すことを1に置いている人のことだ。その人のセンスが良い悪いではなく、見出そうとしている人。

だからこそ、そこで見ているものと現実にあるものとが全く違っていて、常に細かく別世界を行き来している感覚がある。霊的な能力というより、そういう何かがあるんだろう。それすらも最近ぼんやり気づいただけで、元々そうだった。

資本主義社会において、特に役に立つものではなく、あるときにそれを指摘されショックで泣いたこともあった。直接的には意味ないどころか、むしろマイナスになってしまう。

誰よりもまず自分のことに気を張ってないといけないので、とても辛い。それを閉じ込めようと、そう見えないようにしようと必死な自分がいる。

そして心配のあまり、そのことが休日まで侵食してくるのは我慢ならない。思った以上に自分のストレスがすごい。頭ばかりがぐるぐるといろんなことを考えている。

今日、久しぶりに大事なものを捨てた(物理的に)。もうそこには戻らないと思う(精神的に)。全く動かせない、と思ってたものは、こんなにあっさりと捨てられた。そんなに簡単に割り切れないぞ、と思って溜め込むタイプだったが、もっとさくっと捨てていい気がする。

何かを認めないことには、次に進めない。それが自分が見たくなかったり、マイナスだとしても。誰よりもまず、自分が認めて、それに悩むのではなく工夫しようと思う。普通でないなら、その場でやる工夫をしよう。今はそのタームにいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?