庭ぐらしダイアリー 言葉への思い

今日は「500ページの夢の束」という映画を観た。映画「スター・トレック」の脚本を書いて応募する女の子のお話である。
本筋は、自閉症の彼女が成長していく物語と、彼女の姉との心の交流が描かれている。

わたしが好きだったのは、ラストシーンで脚本を観た会社からの手紙で「物語を紡ぎ続けてください」と言われるところだった。

「書き続けてください」というのは、何だかとても嬉しい言葉で、なんとも言えない力がある。
わたしも友人から言われたことがある。嬉しくて昨日のことのように覚えている。
それだけが理由じゃないが、現に今も形を変えながら書き続けている。

多くの人に伝える時、言葉はその力を発揮する。
それは、とても強くて、時に傷つける可能性のある諸刃の剣でもある。
扱いには常に気を付けていなければならない。その緊張感は、いつも付き纏っている。


言葉が勘違いを生んでしまうなら、いっそテレパシーの方がいいのかもしれない。
頭で考え、口に出す(または紙に書く)ことが省略され、感覚だけが伝わる。
エンリケ・バリオスの「アミ 小さな宇宙人」みたいな世界だ。
言葉は必要だし、必要でないかもしれない。

そう考えると、言葉も芸術品のひとつと言えるのではないだろうか。
今自分の本を作っていて、その流れや話のまとまりを考えて四苦八苦しているが、それは一つの言葉の、本の形である。
その今の形を作っては壊す先に、言葉を超えて伝わることがあるのだろうと思う。

マーマーマガジンを発行する服部みれいさんが「言葉の力を信じていて、信じていないんです」とどこかに書いていたが、わたしもそう思っている。
「詩人は言葉に疑問を投げかけるものだからね」と友人にも言われた。
言葉を扱うからこそ、言葉に盲信せずに距離をとって考えたい。

端くれは世界の片隅でそんなことを考えている。

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