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吸って吐くような文章を

最近、文章を書くことで発散されている。ちょっと前までは書くことすら忘れている感じだったが、最近は書いている。必要なものは、必要なときにやってくるのかもしれない。

前は、もっと話すこととか、疲れとかが上位を占めていて、文章がいらない状態だったのかもしれない。今は、必要、というより、呼吸とか排泄とかと同じで吸収したものを出さないとちょっと気持ち悪い。体の循環の一つのような感じだ。このリズム、湧いてきたら書く、でしばらくやってみようと思う。

前のわたしならなんかもっと吐き出せなかったからかなあ。全部全部文章でさらけ出せないんだけれど、ちょっとさらけ感の幅が増えてる感じだ。もうちょっとかっこ悪いような、でもすごく人間らしい自分の部分を出していきたい。

吐き出せないから、リアルに話せる人に話してなんか保ってた。それもそれでどうなんだろう、ってわたしの嘆きをあまりにそのまま話して相手がいいことなんてないのになって罪悪感を感じる時もあったけど、相手がそんなことないよって言ってくれることに安堵してた。ごめん、と思いながらもなんか止まれない矛盾。

もちろん今でも話すことは大事なんだけれど、ちょっと方向が変わってきたのかもしれない。相手と対話して自分を知っていく、というより、自分と自分で対話している感じだ。ダイレクトに自分自身と。
相手と永遠にどこまでも、って感じがなくて、多分それも含めて枠ができたってことなのだろう。

あなたがいるからわたしがいる。こんなわたしとよく付き合っていただいて、、、みたいな。謙虚さって大事だけど、あまりに謙虚になりすぎると卑屈になる。それはわたしがわたしを下げることになっちゃうよね。って自分に言ってみる。

独りよがりもよくないけれど、1人でいること、その時の感覚や感情を丁寧に見ている。その後が、全部話したい!!って勢いとか中から引きずり出しながら言葉を紡ぐ感じじゃなくて、その気づきを文字にすることとか、ちょっとこぼすようなリズムになっている。自分の定点観測。また少し先の未来で変わってるかもしれないけれど、今はそんな感じ。

生きる姿勢においての新たな学びだ。
何も知らなくて、どうにかなってきた。
勢いだけで突っ走ってた。(とはいえ恐れながら)
それでオッケーだったけれど、今はその先にいきたいと思ってたりする。
例えば、英語できなくても海外はいけるけど、なんとなくで進めるだけじゃなくてわたしもできることやろうみたいな。ちょっと話せるように日々進めていこうと思ってたりする。

何かにチャレンジするたびに、わからないことにそのままぶち当たるけれど、それなりに経験値はあるのかもしれない。ちゃんと怒りとか恐れの正体を掴みながら、それをいいようにもっていったり使えるようにしたいな。

エネルギーバンパイア(相手からエネルギーを吸っちゃう人)から脱却して、自分で自分をご機嫌にしたい。そんな今日この頃です。

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