庭ぐらしダイアリー 日々の幸せについての考察

今日は少し動揺することがありました。

とても仲良いわけではない方と会えなくなってしまったとはっきり分かったのです。そんな時、なんとも言えない気持ちになります。
「袖振り合うも他生の縁」と言いますが、わたしは彼女と袖振り合った時に元気やパワーをいただきました。それは数年前だけれど、今もちゃんと思い出せます。時間の長さや付き合いの頻度にかかわらず、覚えているものだなと思いました。

なんだか今も信じられない気持ちです。会わずとも、どこかで元気に暮らしているだろうと思っていたからです。今まで出会ったすべての人にそう思っていましたが、それが違えることもあるのか、と軽く衝撃を受けました。初めての経験ではないのですが、やはり動揺はあるものです。


わたしのような袖振り合う程度の人でも思うのですから、彼女と近しい人はより感じるものがあるのだろうと思います。わたしの経験上、びっくりしたし、なんだかありえないと思ってしまいました。

しみじみと彼女を思い出したりすることが、今自分でできることだと思って、今もぼんやり考えています。そして、より一層、幸せについて考えてしまいます。そればかり考えているのもどうかと思いますが、そして考えているだけでは何も進まないことはわかっていますが、ふとした時に考えずにはいられないのです。

こんな情勢でもあり、近場にフォーカスすることで、周りにある幸せ、そこにフォーカスしていなかった時には当たり前に享受していたことに気づきました。「気づかなかった」と過去を悔やむ気持ちではなく、「そうだったのか」と納得した感じです。

ちょっと大げさにいうと、気づき続けていくために、わたしは生きているのかもしれないなと思いました。いろんなことに挑戦して、いろんなところに出かけていたことは、ここに繋がっていくのではないか、と。引き続き、できる範囲でそれはやっていこうと思っていますが、同時に、これからは「今ここ」にある幸せを丁寧に感じていくつもりです。前から大切にしていたつもりですが、より一層大事にしたくなりました。

山や自然が近くにあること。その中を歩けること。
わたしがいいと思えるお店が近くにあること。
大切な人と話せること。
本が読めること。
絵や文章を自分で作ること。
テレビとかYouTubeで笑えること。
畑で土に触れること。
そしてそして、今生きていること。

いつも「何が一番大切?」と自分に問うていますが、大体これは変わらない気がします。
時々忘れそうになるけれど、これがわたしのささやかな幸せなのだと思います。

少しトーンが暗い話になりましたが、書きたくなって記してみました。お許しください!暗くなっているわけではなくて、しみじみと感じられる時間の素晴らしさに気持ちを向けているので、わたしは心配無用です。辛くなったら、ちゃんと周りのみなさんに甘えさせていただく気持ち満々なので、よろしく!笑

今日一日時間を過ごせたことに感謝、と母が口癖のように言っています。
「言ってるなあ」と聞き流していましたが、今日はその言葉をじっくり感じる日になってしまいました。つくづくわからないものですね。これからはわたしも口癖になってるかもしれません。

ヴィパッサナー瞑想で習った「Be Happy!(あなたも、わたしも、生き物すべて幸せでありますように!)」の言葉を最後に贈ります。皆さんの日々にもささやかな幸せがたくさんありますように!

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