見出し画像

本音を話せて楽になった

最近、ある人のnoteの日記を読んでいる。会ったこともないのに、細かい心の描写で、友達レベルで近況を知っている。不思議。
だからなのかもしれない。わたしも日記的なものを書きたくなった。昔書いてたのだが改めて。残して後で見返すのも面白いよな、と思う。

※気分屋なので、noteに書いたりWebサイト(作り中)に書いたりするかも。

その人は毎日だけど、とても無理だから、わたしは少しずつ書ける時に書くようにしようと思っている。本気になったら毎日書くかも。多分、今の仕事の流れからして、木曜日書くことになるかも。それも気分でいこう。

新しい仕事、というかアルバイトを始めてから数日。これは次の旅への準備になる気がする。物理的な金額もそうだけれど、精神的な修行というか、経験?主に力の抜き方を学ぶんだろうという気はする。全部本気とかこん詰めて、がわたしの専売特許だったけれど、もうそこから離れながらやることだけやろう、みたいな感じ。(まだまだできない。逆に抜く辛さもあって、そこと揺れてる)

今日、初めて新しい職場の人に本音をいい形で言えて(その人は私の代わりにいなくなるから悲しい。でもだからこそ本音を話せたかも)、ここ数日間のモヤモヤみたいなのも少し解消できた。自分の感覚のすり合わせができてほっとした、みたいな。(そして恐ろしいことに大筋は当たってた)

あとは、自分の言葉から、これからこういうことに向かっていきたくて、そのための準備です、みたいなこと話してて、あ、そうか、わたしそのために仕事するのかあ、みたいな不思議な感覚に陥った。言ってから、そうなんや!ってわかる不思議さがある。

数日経っただけなのに、もうやめるとか先の話してるけれど、許されてる気がした。どんなにダメなこと、とか社会不適合者でもいいや。常に逃げてもいいよ、とか、選べる自由さと共に生きようと思う。(というか正直そう思ってないと無理!笑)
自分の人生だし、生きたいように生きればいい。迷惑とか他人から見たらダメだよな、とかもういい。ちゃんと押さえるところを押さえられたらいいな、くらいでいいんちゃうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?