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ゲームを愛していたはずなのに使い捨てしてしまっている現状


おはようございます。

一人暮らしを始めてから、おはようの挨拶は会社でしか言わない言葉になってしまったので何となく「おはようございます」=「仕事を始めるときの合図」みたいになって、挨拶のたびに仕事を思い出してしまうので複雑な気持ちになりますね。


ゲームが遊び尽くすものから使い捨てに

いつからかゲームが長期間遊ぶものから、短期間で遊んですぐに飽きてしまうものに変わってきてしまったなぁって実感があるなぁって思って。


小さい頃は年に1, 2本しかゲームソフトを買える機会がなかったので、必然的にひとつのゲームソフトで遊ぶ時間が増えるわけなのですが、今の年齢になってからはゲームソフトを買う本数は増え、無料のPCゲーム、スマホゲームも含めたら何百倍ものゲームタイトルに触れているわけで。

そうなってくると、小さい頃と同じ濃度でゲームを楽しむことができない(他のゲームが気になってしまったり、同時並行でいろんなゲームを遊ぶ)ので、小さい頃遊んだゲームは鮮明に記憶に残るし、大きくなって記憶に残るゲームは少なく感じる。

はやくダイパリメイクだせ(過激派)


無料ゲームだけで遊べる時代になった昨今は、次々と面白いタイトルがリリースされ、話題を呼んだタイトルでも1ヶ月後にはもうほとんどの人がプレイしていないタイトルになってしまう。

例えば、今の時期なら「原神」。リリースが9/28なので1ヶ月とちょっとが経ちましたがどうですかね。僕の周りでみんな始めていたゲームでしたが、いまやっている人は数人しか知りません(僕もやめた一人ですが)

新しいゲームがリリースされたらダウンロードし、一通り遊んで満足したらアンインストールする。僕の中のゲームの定義が「長くじっくりと続けていくもの」から「短期間で使い捨てていくもの」へと変わってきました。

パズドラがリリースされた当初なんかはみんながパズドラをやっていましたが、モンストがリリース、他のゲームで溢れるようになってからはパズドラも使い捨てゲームの中のひとつになったなぁと。


少し話は変わってeスポーツの話になった時に、事業として求められるのは広く守備範囲をカバーできることだと思いますが、チームや選手側に回る際には数種類のゲームに特化して遊ぶことが求められるので違った視点が必要ですよね(本当に話が逸れた)

ゲームを愛しているから入った業界なのに、守備範囲を広げるためにいろんなゲームを遊ぶ、つまりはゲームを使い捨てにする行為に、ゲームへの愛はあるのか(もっと話が逸れた)

eスポーツの話についてはまた別で話したかったりする


話を戻して、ゲームを使い捨てするようになったなぁと実感するのは、Steamで安いゲームを漁っている時と、いまからこのゲームで遊ぶんだけどどう?って言われてその場で購入する時。

現在流行っているゲームだと、Among Us(アマアス)とかがわかりやすいかもしれない(スマホ版は無料だけど)。

いまからアマアスするけどどう?って言われてダウンロードして1回遊んだけど特に2回目があるわけでもないし、ひとりで遊んで楽しいゲームじゃないからそのまま放置。

みたいなことをしている人って結構いると思う。いや、アマアスは楽しいんだよ。誘われたら全然遊ぶし声をかけてくれたら飛んでいくんだけど、ひとりでやるゲームじゃないからなぁっていう。

そういったゲームで溢れたゲームライブラリーをみて、僕はそういうゲームたちのことを使い捨てゲームと勝手に呼んでいるのですが、使い捨てゲームたちを見てなお、まだ増やし続けてしまう自分もいて。

それって、本当にゲームを愛していると言えるのかなぁ。


ゲームが好きだったはずなんだけどいつの間にかゲームとの接し方が変わってしまっている自分をみてちょっと残念な気持ちになった。

「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ」という言葉もあるのでしばらくは自分の本当に好きなゲームを探して行こうかなとおもいましたまる


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