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脱サラしてミュージシャンになる part1

N.U.のブログFCサイトのブログは庭瀬幸一郎を知ってくれてる前提で書いてますがnoteは自己紹介と自分の履歴書みたいな場所にしようと思ってます。って事で自己紹介兼ねて脱サラしてミュージシャンになるキッカケを記そうかと!

大阪府立茨木高等学校卒業後

どうしても大阪大学へ行きたかった庭瀬くんでしたがセンター試験を華麗に失敗し見事に一年浪人!周りの友人たちと同じく予備校に入れるものとタカを括っていた甘ちゃんの庭瀬くんに父親から衝撃の一言

義務教育は終わった。大学行きたいなら学費は出そう、だが浪人するなら話は別、浪人期間中の費用は自分で頑張れ!

ま、ま、ま、マジっすか!?予備校の学費自分で稼ぐんすか???どないしよ、、。悩んだ結果出した答えは【自宅浪人】いわゆる宅浪ってやつ!午前中はガソリンスタンドでバイトして午後は自分で勉強というスタイル。1人ってのはどうにも孤独で不安な時は仲間が通っている予備校へ遊びに行ったり。そんなこんなで見事二度目のセンター試験も失敗!志望校に行ける可能性が途絶えた庭瀬くん、一番早く合格通知が届いた同志社大学工学部機械システム工学科に入学!受かって良かった、マジでホッとした。。。しかも同志社の入試でも色々あって、、、これはまた別の機会に書きます。

ここから4年間、ミュージシャンとしての基礎を育むべく軽音サークル的なのに入るのが良くあるパターンやと思うんですが、、、庭瀬くん、まさかのバイクに走ります(バイクだけにww)入学式、正門に何台ものオートバイが並んでて新入生を勧誘してた。タイミング良いことに中型免許もバイクも浪人中に取得済みだった庭瀬くん、FriendShip Turing Club(通称FTC)に入部してバイクと共に明け暮れた4年間を過ごした。北海道と沖縄以外、全都道府県バイクで走った。サーキットもちょいちょい。充実した大学生活、無事に決まった就職先は半導体の専門商社での営業、大阪を離れる気はサラサラ無かったので大阪支社採用で入社。本社のある新横浜で半年の研修でひとまず横浜に拠点を移し大阪へ帰れる日を心待ちにしてた青年庭瀬くんに上司からまたしても衝撃の一言!

この先を考えるなら本社勤務が良いぞ!

ま、ま、ま、マジっすか!?大阪帰る気満々なんですけど(T ^ T) 結果的にそこから現在に至るまで横浜在住となりました。あの決断が無ければミュージシャンになる事も無かったかと思うと人生ってどこでどうなるか分からないモノですね。人生って面白い!

横浜本社勤務となった庭瀬くん、割と仕事に打ち込みました。やる気さえあればバンバン仕事振られて「出来るか出来ないか?ではなくやるかやらないか?」を徹底的に叩き込んでもらえた。もう一つ社会人経験で得たモノが「営業としての思考」フォーキャスト(年間売上目標)を立て、それを実現する為に必要なアクションアイテム(やる事リスト)を洗い出しロードマップ(いつまでに何をすべきか)を作る事で今日やるべき事を明確化する。N.U.をスタートした時に決めた事が一つあって、それは

3年でデビュー出来なければ諦める

だった。なのでファン0人、音楽業界の知識ゼロ、ツテもブレーンもゼロ、オリジナル曲三曲、この状態で脱サラしてミュージシャン目指すって、、、心許ないなんてもんじゃなく【無謀】でしか無い!と周りは思ってたと思いますww 許してくれた両親に感謝です。横浜勤務となり、週末は会社の寮でギターを弾きながら過ごす日々、僕の部屋が歌声喫茶と化し同期の仲間たちの溜まり場となっていた中で同僚の女の子から

オリジナル作ったりしないの?

と。そんな発想全く無くて、むしろ「オリジナル曲って作れるモノなの?」って思ってました。で、やってみた!ここも重要な分岐点。「自分には出来ないだろう」と勝手に枠を決めてトライしない事って山ほどあった。いびつなモノが出来て笑われるんじゃないか?とか、いらぬ心配して一歩踏み出せなかったり、、、言葉の上では理解出来てても行動に移すにはエネルギーが要る。そこを選べた事は今でも自分を褒めてあげたい!頭のネジ何本か取れてるくらいで丁度良いって思います(笑)。オリジナルを作り次の週末に同僚の前で披露してみたら、、、

大絶賛!!!

今思えば社交辞令が80%だったと思うけど当時の庭瀬には衝撃的な出来事で、、、あの時周りの反応がイマイチだったら脱サラしてミュージシャンなんて無謀な事してなかった様に思う。お給料も良く、仕事も任せてもらい、やり甲斐もあった。それでも自分の天秤がミュージシャンを選びたいと思った大きなキッカケは同僚からの評価が大きかった。そして当時テレビで流れてたヒット曲と比べて

オリジナル負けてないやん!

っていう大きな勘違いが出来た事(笑)。これ笑い話ですがかなり大きなポイントでした。自分に可能性を感じられた瞬間。自分が自分を信じてあげられなければ、評価してあげられなければ、新しい一歩なんてとてもじゃないけど怖くて踏み出せない。そのきっかけが「オリジナル曲の自己と他者からの評価」でした。

こうして火が点いた青年庭瀬くん、共に寮でツインボーカルとして歌っていた相方宇田くんと話し始めます。このままサラリーマンを続けるか?未知の音楽の世界に踏み出すか?

相方の宇田さんは会社で出会った同僚。彼も一浪して入社組なので同い年。これまでの人生で初めて「自分にしか出来ないモノがあるかも」と同じ想いに駆られていました。が!この選択は大きなリスクを伴うので簡単に「やろうぜ!」とは言えなかった。ちゃんと考えて例えどんな結果になろうとも自分でケツ拭ける覚悟を持った状態で進まないと空中分解するのは容易に想像出来た。ので、1ヶ月間の冷却期間を設けてそれぞれ家族の説得、且つ自分自身で断固たる決意で進む意志があるかの確認期間を設けたわけです。

1ヶ月後にしたミーティングでそれぞれ両親を説得した状況だったので晴れてN.U.をスタートすることに!!!

会社を辞めるまでの過程、自分メモとして記そうと思い立ちましたが、、、出来事が多すぎて書ききれないww 今回はここまで!

次回Part2で更に綴って行きますね♪

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