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解体ひざ心書

両膝

誰でも小さい頃は転んで擦り傷を作る。多くの人は傷跡がふと目に入った時に「あの時の」と懐かしんだり、成長した自分に気が付いたりするだろう。
私の場合は、膝を見るたび過去に戻される。
私の両膝の傷跡は、トラウマ起動スイッチなのである。
左と右で転んだ時期や傷跡の形状は異なる。
そして左脳と右脳で機能が違うように、左膝と右膝で思い出すことや心の痛み方が違う。利き手があるように、利き膝があってトラウマの引き金を引き易い膝がある。
そんな私の膝から呼び起こされてしまう記憶と痛みの話をする。

左膝

左の膝の中央、2cmほどの縦の盛り上がった傷跡が1本とシャっと1cmほどの縦の傷跡が隣に2つ。

この傷ができたのは小学校1年生の春だった。
ハナと互いの近所の公園で遊んでいた。
ハナ以外にも友達がいたような気がするけれど、そこは思い出さない。
私と違って、ハナは活発で日頃の行動範囲も広くリレー選手になるような運動神経の良い子だ。
そんな活発な子と遊んでいたなんて、自分でも信じれれない。
近所の公園で遊んでいて、それでは足りなかったのかハナは「別の公園に行こう!」と言ってきた。
ハナが提案した公園は、車通りの多い大きな橋を越えなければならないような場所で、今の私の足でも徒歩15分はかかる。
当時の私は、親の同伴なしでその公園に行ったことがなかった。それに親とその公園に行く際は、なにかの序でだったために車でしか行ったことがなかった。
だけど、ハナはその公園に何度も行ったことがあるらしく「こっちの遊具よりもすごいのがあるよ」というから、私は行ってみたくなった。

別の公園へ向かう途中、ちょうど大きな橋をアーチを登るときに私は転んだ。
私には運動神経が備わってないから、転びの受け身がきれいに取れず手を地面につくよりも先に膝を擦った。長ズボンだったのに、かなり深く広い傷になった。
左膝が一番ひどかったが右膝も両手も擦り剥いいて、当時の私は血も土もばっちかったし、かなりびっくりしたのだと思う。
ハナの前では泣かずに「だいじょうぶ」と言った。いや、泣いていたかもしれない。
そんな転びたての私を見て、ハナは「だいじょうぶじゃないよ、家に戻ろうか」とちょっと笑いながら、私の家まで一緒に戻ってくれた。

ブランコと橋

家に着いて私の傷を見るなり、母親は消毒したり「このサイズの絆創膏はないから2つ重ねるか」と絆創膏を貼ったりしてくれた。
母親が私に手当をしてる間、私は自分の家の玄関ドアの1つ先の部屋にいて、ハナは玄関の外にいた。

母親に「どこでどうしたらこんなケガするの?」と大きな声で心配され、遠い方の公園へ行く途中だったと経緯を話した。
「もうハナとは遊ぶな」と親に言われた。同時に「ハナの親は良いうわさ聞かない」みたいな話をされた記憶がある。もっと具体的に話された気もするけど、私はハナの親がどう良くないのか覚えてない。

そして、母は私の手当てを一通り終えると、何をどう考えてもそんなわけないのに「うちの子、熱もあるから」と言い、ハナを帰した。
手当てしてもらった私でも分かる冷たい言い方だった。
ハナを帰してしまった時、私は一応ハナと顔を合わせたけれど母親の陰から手を振るくらいしかしなかった。

この一件以来、ハナとは遊んでいない。
だけれど、親はたまにハナの家庭の噂を会話の種に持ち込んでくる。ハナと私はクラスメイトの薄い会話くらいしかしなくなって、小3以降はクラスも離れ、遊んだことがない人同士以上に話さなくなった。

もしも左膝の傷跡ができなかったら、
私はもうちょっと活発な子だっただろうか。
ハナのような子と交友関係を持てたのだろうか。

左膝は利き膝ではないのだけれど、友達や親との関係の難しさを十分に呼び起こし、活発の対極に私を過去に追いやる。

右膝は次の記事で。
ちょっと痛むかもしれないけれど書いてみようと思う。

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