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ボードゲーム:どうしてそれで遊ぶのか

ここで言うボードゲームとは、非電源のゲームのことを主に指しています。
ただ、個人的には電源を使うおもちゃもボードゲームに入るのでは……と思ったりしていて、ちょっと境界が曖昧。ゲーム機を使わないゲームは全て、ボードゲームに含まれる認識になってきたりしております。
そんな前置きをして、今日はボードゲームについて。

ボードゲームを紹介するための記事ではなく。
ボードゲームについての感情や、遊ぶときの気持ちや心構えみたいな話をしたい。
今回は、どうしてボードゲームで遊ぶのか。


言わずもがな、私はボードゲームが大好きです。
好きになったきっかけは漫画とTwitterでの出会い。
ボードゲームを好きになって、5年は経っていると思います。

そもそもボードゲームを何故するのか。
私の中での答えは、不確実さ・不便さ・人間らしさ……それらを楽しんでいるというところに至った。


この間、妻とこんな話をしました。
ちょっとだけ逸れたような会話ですが、TVで初対面の人と一緒にボードゲームをしている姿を見た妻が「知らない人と一緒にボードゲームをして何が楽しいん?」と。
あぁ、なるほどな。確かに、概念的には珍しいものかもしれない、と。
それに対して私の返答に繋がるのですが、そもそも”ボードゲームを楽しもうとしている人”と”特定の人と遊ぶことを目的にしている人”がいると考えます。

噛み砕くと、前者はボードゲームがしたい人で後者はその人と遊びたい人。
目的がボードゲームをすることなのか、特定の人と遊ぶことなのか。
遊んでいる媒体は一緒であれど、目指すところが違うと妻の疑問も納得。
少し思慮を広げると、知らない人とボードゲームをすることを目的にしている人もいるかもしれない……。理由は違えど、媒体はボードゲーム。多分、他の事柄にも言えることだけど、それは置いておこう。

さて、私はというと、見知らぬ人ともボードゲームをしたことがある。
存外楽しかったことを覚えている。
私はボードゲームをしたい人だから。


漸く本題。なぜボードゲームで遊ぶのか。
これだけ娯楽が発達した世の中で、敢えてそれを選ぶ理由。
私の中での答えは、不確実さ・不便さ・人間らしさ……それらを楽しんでいるというところに至った。

何を言っているのか。
確実で便利な方がいいだろうと思う。
世の中はそれらで溢れている。
ただ、こと娯楽においては、それが足枷になることもまた一つ、と思う。

ボードゲームを想像してみよう。例えば人生ゲーム。
まずは準備。大きな箱からボードを出す。
セットアップ。細かい駒をプレイヤーに渡す。お金を渡す。職業を決める。
初めてプレイする人がいれば、説明をする。
その他、銀行役や順番など諸々……。
それらが終わって、漸くスタート。
ルーレットを回し、その分自分で進める。
イベントが起これば、お金やモノのやり取りを行う。
手番終了、次の人どうぞ。
そうして終了条件を満たすまで繰り返す。
終わったら、準備とは逆。片づけをしなければいけない。

こんな感じだろうか。

人生ゲームがわかりづらければ、例えば麻雀、例えばトランプゲーム、なんでもいい。
ボードゲームはアナログゲームとも言われているように、実にアナログ。
なんともめんどくさい手順が多い。というか、そもそも全て自分で・自分たちで行わないといけない。なんとまあ時代錯誤なのだろうか。

こんなにも、便利なものが溢れている世の中。
スマフォがあれば、何でもできる。PCがあればゲームも出来る。専用のゲーム機だって素晴らしい。
先に述べたこと全て、プログラムで処理できる。ボードゲームでは時間のかかっていた準備も、ボタン一つで行える。ルールがわからなくても、チュートリアルがあり、触りながら理解出来る。手番が終われば、自動的に次の人に回る。順番を間違えたり、飛ばしたりなんてことはあり得ない。なんなら、箱から出すなんてしなくていい。電源を付ければOKだ。勿論片付けも。

にもかかわらず、という話。そうして戻ってくる。
私は不確実さ・不便さ・人間らしさ……それらを楽しんでいるということ。

えぇ、不便でしょうとも。実にアナログでしょう。ヒューマンエラーなんて幾度となく起こることでしょう。
それを無くすためにはどうすればいいのか。準備も時間がかかるから早く終わらせたい。
そうして人はコミュニケーションをとるわけです。

ここが人間らしさに繋がる。
アナログゲームと対比して、ボタン一つで何でもできるデジタルゲームは、煩わしさは全て取っ払って楽しい部分だけ楽しみましょうという感じ。
ボードゲームは、その、取っ払った部分を……今では味わえない、めんどくささを楽しめるツールだと思う。
その楽しみの根源がコミュニケーションが必要だということ。

準備する際も、わからない人には声をかけて手伝ってもらう。
ルール説明も、実際に駒やカードを触りながら自らが説明し、わからないことは質疑応答をしてすり合わせていく。
プレイ中も間違いなく、コミュニケーションが増えるのは想像に難くない。

これが、不確実さ・不便さ・人間らしさであり。
それを楽しむ……楽しめるのがボードゲームだと思っている。


ボードゲーム自体が面白いのはもちろん。
いや、ボードゲームも物によればイマイチなものもある。これはゲームであれば、すべからく通じることだと思う。
そこまでは同じ。ここからが違う。

デジタルゲームは、プログラムが制御した……所謂箱の中でのゲームを楽しむのが常であり、その箱を出ることは基本的には許されない。例えば、4人までのゲームであれば、5人プレイなんてありえない、不可能なこと。

アナログゲームは、全て人が管理している。だからこそエラーが起きる。普通はそのエラーを起きないようにすり合わせる・コミュニケーションをとる。ただ、任意でエラーを起こすことも出来る。
4人までのゲームであっても、ルールの調整やプレイ方法さえ整えることが出来れば5人で遊ぶことも可能。いや、そこまできっちりしなくても、元のルールのままで遊ぶことも不可能ではない。
何を言いたいかというと、その場にいるプレイヤー全員の承諾があれば、ルールに書いて無かろうと、それがルールになる。
そうやって蔓延っているのが、大富豪のローカルルールだとイメージしてもらえればわかりやすいと思う。

不確実さ・不便さ・人間らしさは、柔軟さでもある。
何か問題が起きたときでも、その場にいる人で話し合って解決できれば、プレイは続行である。なんとまあ、人間らしいことか。


私はデジタルゲームの一つである、テレビゲームは大好きだ。
それと同時に、アナログゲームである、ボードゲームも大好きだ。
どちらも楽しめるのは間違いないが、より充実するのはボードゲームかもしれない。

そこには、人間が人間たらしめる所以……会話・コミュニケーションがゲーム内でも必須になってくる、というところかもしれない。
人は人と関わることで、充実感を覚えると私は考える。ボードゲームをプレイすることにより、承認され、認知され、同時にゲームも楽しめる。
これほどまでに、人間に寄り添った娯楽はないのだろうか、とまで私は考える。

それゆえ、私は時代に逆行するようにボードゲームを遊ぶ。
自らの手で駒を並べる素晴らしさ……そこはまた別の機会に話そうと思う。


連載をするわけではないけれど、私のボードゲームへの愛情を垂れ流したい。そんな気持ちになったため記事にしました。
また、秘めたる想いをお伝えできるそのときまで。

では、また次回。

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