谷川さんのこと。
目が覚めてすぐに、谷川俊太郎さんの訃報を知った。
不思議な夢を見た後だった。
夢の中で、私はだいぶ未来の、荒廃した世界で生きていた。未来なのに今より随分若かった。
「ずっとひとりだからカレンダーをめくり忘れた日から、自分の年がわからない」と言っていた。
未来の世界は多次元の先にあって、意識だけで色々な時代を行き来している。だから実はその私は今の私でもある。どこにいてもいつも自分は実体がないもののように感じていたけれど、ふと空を見て「今」を感じた瞬間に身体が実体を伴って「今のここ」に定着されてしまう。よりにもよって荒廃した孤独な未来の場所に…。
そこで目が覚めて時計を見るために手に取ったiPhoneで最初に見たのが谷川さんの訃報だった。
実は、私は高校生の時に谷川さんとお話しをしたことがある。
ものをつくる人になりたい、と思った一番最初のきっかけは詩だった。
「現実には手触りがない」と思っていた10代の時、突然言葉が溢れるように湧いてきた。
誰にも言えないことを、暗喩や比喩や婉曲表現を使って書き留めて詩の形に推敲することが面白くてたまらなかった。書くために生き、息をしているかのようだった。
学校の課題で提出した詩を現代国語の先生に手放しで賞賛していただいたのがきっかけで、「もっと人に読んでもらいたい」という気持ちに灯がついた。
今は信じられないようなことだけれど、その当時「現代詩手帖」という雑誌には定期的に作者の連絡先名簿が出ていた。
無謀にも16歳だった私は書き溜めた詩を現代の詩人の中で一番好きな谷川さんに読んでほしいと送ったのだった。
プロの詩人にどうやったらなれるのか、今のように検索窓のない時代。現存する尊敬している人に手紙を書いてみることは、まして自分の詩を送るのは人生を賭けたとんでもない勇気がいるチャレンジだった。
全く意外にも、谷川さんご本人が読んですぐに電話をくださった。お返事を、しかも(当時は固定の)電話でいただけるとは思っていなかったので激しく動揺してしまった。
相槌を打つのがやっとの真っ白な頭で覚えているのは「とてもよく書けている」と褒めてくださったあとに「でも、プロを目指すのは辞めなさい。プロになるとこういう詩が書けなくなるよ」とおっしゃったことだった。
「はい!」と素直に返事をしたものの、ようやく見つけた自分の道を急に閉ざされて、ハンマーで殴られたような衝撃というのはこう言うものかと思った。ショックだった。
褒めて肯定してくれた、でもプロになるな、どういう意味なのかわからなかった。
それからも詩は書き続けていた。仲良くなって本が好きという人には読んでもらった。どこでも評判はよかった。でも、2年ほど書き続けているうちに、書くことが目的なのか人に読んでもらって賞賛を得ることが目的なのかがわからなくなった。そして、汲めども尽きぬ泉のように湧いていた言葉たちは絞り出すようになり…やがて書けなくなって、詩を諦めた。プロを目指すなとはこのことだったのか、と思った。
10代の最後に作った映像作品が光栄な賞を取ったのはそれから間もなくだった。私は嬉しさよりも怖くなった。自分の限界が賞賛を得た瞬間から始まることをもう知っていたから。映像の世界から、私は逃げ出した。
ものをつくる人になりたいのに褒められれば褒められるほど枯渇した状況が思い浮かんで足がすくむ。ものを作る以前に人として経験を積まないといけない。作り続ける体力と胆力が必要だ…
その後、たくさんの職業を経験した。一生懸命にやって評価してもらえた仕事もある。逃げたい場面で逃げないことや責任を全うすること。その経験をふまえて、30歳の時からものづくりの仕事に徐々に戻っていった。
枯渇の恐怖と戦う覚悟で、なんとなく電話をしながら書いてしまう落書きのようなものや、何も考えず描きたくて描く絵、立体。自分の意図が全面に出ないように形がどちらの方向に行きたいかを慎重に見極めるようにつくることに全力を注いだ。
40代以降は一番純粋な、決してぶれない願いを込めて「動物たちのしあわせ」を絵や立体にしていった。私の絵を見て「ヘタウマってよく言うけどヘタヘタだよね」と言ってくれた方もいた。ヘタヘタはダメだな。また葛藤。
「しあわせな犬」の彫刻を作らせてくださった方からは「うまくならないでね」と言っていただいた。うまくならない、は難しい。「しあわせな犬」以降は枯渇の恐怖との戦いでやっぱり身がすくんだ。でも辛くても怖くても辞めないこと逃げ出さないことが今の自分のミッションだと思っている。
実は本格的にアーティストをお仕事とするように始動した40歳の時に、谷川さんにお手紙を渡せる機会があった。あの時おっしゃられたことをずっと考えて苦しんで、でも今またものづくりに戻ってこれたことをお伝えしたくて手紙を書いた。お返事はなかった。私は少し、傷ついた。でもお返事がないのが正解だったと今は思える。
苦しみすぎて体調も崩したけれど一回転して今、また純粋に作ることが楽しくなってワクワクし始めたところだ。ようやくここに辿り着いた。今こそ谷川さんに純粋に「ありがとう」を伝えたかった。
心の奥の底から、ありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。
※初出、Instagram @niu_artwork に書いた文章を転載いたしました。
※写真は2009年の子供の落書きをイメージした75枚の作品のひとつ 「Me,a bunch of brain cells_72.錆びた言葉」