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もう「お笑い」も自分にとって「ただ楽しいだけ」のものではなくなってしまった

「どんな趣味でも長年やっていれば、めちゃくちゃイヤなことが起こる」というのは私の持論だが、「自分はお笑いを観賞しよう」と決めて(もちろん小さい頃からテレビのお笑い番組などは普通に楽しんでいたが)24年が経った。

お笑いを観るのは、楽しいしラクだった。客として、ただ笑ってりゃいいんだから。
「難解で面白くないが評論家に評価されている」文学や映画は存在するが、
「面白くないのに評価される」
ことはお笑いには、まずありえない。

しかし「ユーチューバー」が「テレビタレント(芸人も含む)」の対抗馬というか、ライバルとして現れて、けっこうな時間が経ってから、様相が変わってきた。

いわゆる「炎上狙い」のムーブを、芸人も起こすようになってきた。

炎上なんて、楽しくもなんともない。いや「他人の炎上を観るのが大好き!」という人もいるかもしれないが、そういう楽しみは「お笑いの楽しみ」とは違う。

芸人は「どんなことでも笑いにする」からこそ、リスペクトされてきたし、また、それゆえに特別な職業だった。
ビートたけしが、父親が亡くなった際、マスコミのインタビューを受けて(うろおぼえだが、だれか親しい人の死に際してのインタビューだったことは間違いない。それを受けたのは告別式の場だったような気がする)、

「母親が亡くなったときは(芸人として)どうしたらいいのか。まさか母親の死体を持って走り回るわけにもいかないしねぇ」
と言っていたので爆笑してしまったことがある。

たけしは、母親が亡くなったときを想定し、「芸人だから笑いを取らないといけないが、その方法がわからない」と、悩んでいたのである(父親が亡くなった際に彼がどうしたか記憶にないが、彼の母親はマスコミにもよく出ていて、一般人も「たけしの母親」にはなじみがあったので、そういうトークになったと思われる)。

また、芸人ではないが、谷啓の家が火事になって全焼したという報を受けて、友人たちがかけつけたら、谷啓は焼け跡の上で平然と、他の見舞客と麻雀をやっていたという。
こういうのも「いかにも普通の人ではない」ふるまいだ。自分はとてもこんなことを実行する気はないが、お笑いが好きな人にとってはいわゆる「しびあこ」なエピソードだろう。

ところが、「炎上案件」というのはこういうのとは違う。とにかく人をイヤな気持ちにさせる。「なんでこんなことにわざわざ悪口を言うのか? ひとつも笑えないんだが……」という芸人のコメントも非常に増えた。

芸人の悪口が変な方向に行っているのは、コンプラのせいかもしれない、と私は勘ぐっている。
いわゆる「だれでも(あくまで笑いの上で)バカにしてもいい」立場の人をバカにできなくなったので、悪口の対象が、より複雑な方向に行っている。
だから、スカッと笑えなくなる。

いや、私も「あいかわらずブスや貧乏を笑いのネタにしろ」と言っているのではないのだが、「単純化できないシチュエーションや、人の考え方」を悪口の対象にし始めたら、単純に笑えなくなるのは当然であろう。

それと、「もはやテレビだけを活躍の場にしていたら、パイが狭すぎて食っていけない」という事情からだろう、「笑い」以外の場所に活路を見出そうとする芸人も増えている。その過程の中で、「必ずしも『笑える』ことを絶対的なゴールとしない」ふるまいが増えてきているということだろう。

「お笑い芸人が料理本を出しました!」みたいな時代が、まだ平和だったと思い起こされる。

前述のビートたけしは、マジメなことも言うしバカなことも言うので、映画を撮りだしてからもさして変わったという印象は、個人的にはない。
しかし最近の「お笑い以外(それと「感動もの」以外)」をやり始めた芸人は、口を開いたら何を言いだすかわからない。
私にとって不愉快なことを、突然言い出すかもしれない。

だから、もう安心して見ていられない。

(なお、そんな中でも「みなみかわ」や「とろサーモン久保田」は「悪口」を言ってもきちんと笑いに帰着し、絶妙なところを付いていて感心する。彼らは安心して観れる。)

これは他のエンタメにも言えることですけどね。平成以降の仮面ライダーとか。
平成以降のライダーは、フタを開けるまでプロットが勧善懲悪なのかデスゲームなのか、伏線が最終回までにきちんと回収されるかどうかもわからなかった。戦隊ものもそうだが、安心して観ることができず、足が遠のいてしまったよ。

「口を開いたら何を言いだすかわからない」というのなら、それはもう私にとっては「芸人」ではない。気晴らしにならない。
たとえば中田のあっちゃんやキンコン・西野みたいに、自身のスタンスをはっきりさせているのならまだいい。彼らには「お笑いではないことを発言する」覚悟が観られるが、最近は「芸人とユーチューバー」の垣根をはっきりさせない方が、立ち回りがうまく行くと踏んでいるのか、芸人でもヌルッと、

「特段、笑いにもならないコメント」

への領域に踏み込んでいく。

それと、いちばん気に入らないのが最近、芸人たちが言い始めた「お笑いファン」批判や「お客さん」批判だ。
それももう、十数年前から言われていた「審査員かぶれの分かった風なことをSNSに書く客」というのでもない。
そういうのを芸人が気に入らないのは、よくわかる。

最近の芸人は、もっと踏み込んでいる。黙って観ている客にも矛先が回ってくる。

そんなに客がイヤなら、自分の好きなファンだけ集めて単独ライブだけやっていればいい。

とにかく、テレビやネットでの芸人の言動を観ていて「ギョッとする」ことが多くなった。目を三角にして、あるいはしごく冷徹に、他人の悪口を言っているが、それが「おもしろ」につながっていかない(もちろん例外もある。前述のみなみかわや久保田もそうだが、ナダルとかもがんばっている方だろう)。

自分にとっては悲しいが、お笑い界自体に根底から「地殻変動」みたいなものが起こっているのかもしれない。

しかし、自分にとってはそんなことはどうでもいいのだ。

おしまい


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