急にジェリー藤尾のことを思い出した

ぼーっとしていると、思い出してしまう光景がある。
今、ぼーっとしていたらタレントのジェリー藤尾が、いつだったか(70~80年代であることは間違いない)テレビのトーク番組に出た際、
「子供の頃は食事のたびに、『作法がなってない』と親にビンタされていた。食事の時間はビンタされる時間だった」
と言っていたことを思い出した。

ウィキペディアを観ると、ジェリー藤尾は日本人の父親とイギリス国籍の母のもとに生まれ、外見や言葉の壁から差別されたために母親はアル中になり28歳で死亡(当時、彼は中学一年)、残った父親も家庭を顧みる余裕をなくし、ジェリー藤尾はグレて愚連隊の用心棒になったという。

「ビンタして来た」のが父親か母親か忘れてしまったが、小学生時代のことだと考えるとたぶん母親で、トーク番組では「しつけが厳しかった」というようなことを言っていたが、ウィキペディアの内容が本当だったとすると、まあ、親からのDVですね。

私がジェリー藤尾をテレビでよく観たのは、1975年頃から86年くらいまでの約10年間。
奥さんと一緒によくテレビに出ていて、バラエティ番組のレギュラーを持っていた。
「円満家庭」が売りだったので、「親から暴力を受けていた」という文脈で子供時代を語ることができなかったのでは、と何の根拠もなく思っている。

彼は86年に離婚、奥さんがいろいろとマスコミにしゃべったので話がこじれ、「仲良し家族」のイメージも崩壊。86年以降は彼をテレビで観た記憶はあまりない。

ジェリー藤尾はハーフであり、英語の歌をよく歌っていた。「仲良し家族」のイメージも、「サザエさん」的な大家族ではなく、モダンな、欧米のホームドラマに出てくる家庭のようなイメージだった。
だからこそ、「食事のたびに親からビンタされていた」という話が記憶に残っているのだ。

現在、「昭和」という言葉が軽々しく使われることが多いが、ジェリー藤尾の子供時代の体験から愚連隊の用心棒をするほどの不良になり、ケンカにあけくれ、芸能界デビューをした後もヤクザとステゴロのケンカをして、しかしタレントイメージはモダンな欧米の感じ。
そしてテレビの最前線から引いたら、そこには戻ってこなかった。
まぁこれが真の「昭和の芸能人」の一人、と言えよう。

「昭和」といっても戦前からたどっていくと、多面的なイメージがあるが、いちおう戦後、高度成長期以降を現在、巷で言われる「昭和」だとした場合、
「モダンな、一見欧米化しているような文化の背景に、古いコミュニティの感覚や戦後の混乱の残滓、理不尽な徒弟制度」などがからんでいるのが「昭和」、だと言える。

別の言い方をすれば、現在テレビなどで「昭和の古臭いイメージ」が笑われたりもするが、かなり都合よく「テレビでやれる範囲」として刈り込まれていることが記憶をたぐっていくとわかる。

そして、昨日も本が読めなかった。
責任取って、エンパイアステートビルから飛び降り、そのまま空中でしばらくホバリングした後、消えます。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?