人にあれこれ言われたくない、そんなユウコの物語が黄金に照らされワインレッドに輝く高級スイーツ店

寒さについては、ようやくやわらいできたが、そんなことはどうでもいい。
どうせ今度は暑くなるんだし。

うるせーーーーーーーーっ!!!!!!!!!

まあまあ、落ち着いて。

前回の投稿から一週間が経ってしまった。
しかし2月27日頃から、自分の試行錯誤が見える。
このnoteは「できるだけたくさんの人に観てもらう」ことを目的としているわけではないが、やはり読んでくれる人は少ないより多い方がいいから。

だが、どうもうまくいかない。
ま、基本的に時事問題について語れば、多少は多くの人が読んでくれるのだろうけど、コオロギ食の話とかしたくないでしょ? 私はコオロギ、食べろと言われたら、もうバリッバリに食べるけどね。
コオロギ万歳。

コオロギ食えよ!! 牛乳も飲めよ。

それでいいじゃないか。

最近、どうしてもマンガを読む気になれない。
理由は老眼が進んだことが大きいだろう。

オードリー・ヘップバーン
ヘーヘヘン・ヘッヘヘーン
ケーケケッ、ケケッケーケー

マーガリンのようにハンドクリームを
パンに塗って食べるやつ
そんなあいつがおそろしい
猛獣よりも おそろしい

以上、ポエム終わり。

どれとは言わないが、ある平成仮面ライダーがちょっと炎上した、という解説動画を観ていて、心底腹が立ってしまった。
「ただ続きを見てもらうだけでいい」というだけで、ラストまで構成したのなら、それは悪い意味で紙芝居と同じである。
伏線(と見ている人が思うこと)を貼ったり、意味深な言葉を登場人物に言わせたりするだけ、紙芝居よりもタチが悪いと言える。

私は基本的に、伏線を放置するような作劇は好きではない。
それは物語をつくっている人の、甘えでしかない。
「月光仮面」や「黄金バット」の時代とは違うんだから。

あと、ヒトにあれこれ言われたくない。
この間、歯医者に行って、
「治療後、二~三時間は治療した部分をつかってものを食べないでください」
と歯医者から言われ、そこに間違いは一つもないのに、
血管がブチ切れそうなくらいイライラしてしまった。

これはおれが悪い。
だが、イライラする。

だいたい、仮面ライダーでもったいぶって伏線めいたことをちりばめ、結局伏線回収せずに終わって、プロデューサーがもっともらしい言い訳をするのも、本当に、心の底から好きじゃない。
どれくらい嫌いかと言われたら、ガーシーくらい好きじゃない。

正義と悪をあいまいにするなら、最初から勧善懲悪のフォーマットなど、使ってほしくないというのが本音だ。
だれだって財布を盗まれたくないし、強盗殺人は犯罪だし、
戦争だって起きてほしくない。国が都合のいいように人民に負担を課すことだって、「悪」だと言えるだろう。

子供向けの勧善懲悪ものの作品の中で、「善も悪もない」とか「悪にも三分の理がある」とか「善と思っていたことが悪で、悪だと思っていたことが善だった」みたいな話は、私が知るかぎり70年代からあるが、70年代にはまだ第二次世界大戦の記憶が人々の中に残っていた。
「戦前、戦中に国にいいようにやられてきた」という気持ちが多くの人にあるからこそ、「善が悪、悪が善」という考えが子供向け作品にしのばせてあっても、そこにはそれなりの理があった。

いわゆるゼロ年代にも「セカイ系」であるとか、物語のフォーマットをひっくり返すというか、「世界観そのものを問い直す」みたいな作品はけっこうあったが、それなりに作品としてよくできてはいても、やはり正道、王道たりえない(もちろん「変わり種の作品」としてはあったっていい)。
それが王道みたいなそぶりを見せるようになったのが、ゼロ年代以降とも言える。
そんな時代がもう20年くらい続いている。

そもそもが、ヒーローというのは存在自体がご都合主義的なのである。
そのヒーローのやることが、善として受け止められるのは、偶然でしかないからだ。
そこを「リアル」にしようとしていろいろな試行錯誤があるのだが、どんなに頭をひねろうが、「スーパーヒーロー」がご都合主義的存在であることは変わりない。

それを多くの人がわかってない。

いや、わかっていて屁理屈をこね回しているのだ。

ホームランを打ったって、その打球が人に当たって死んだら、ヒーローもクソもないではないか。

おれはもうマミーを三リットル飲んで国会議事堂に突入し、
女性のみが、「ダイアクロン」のおもちゃを強制的に買わなければならない国づくりをしたい。

では、さらばだ。

#ヘーヘヘン・ヘッヘヘーン



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?