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ギャグレベルの高さと労働や生活は無関係と言うこと

「クラスで先頭を切っていろいろとやっているやつらは、たいして面白くないんだ」と思ったことはないだろうか。
学園祭とか体育祭を一生懸命やって、「青春している」やつらは、行動的かもしれないが「真のおもしろさ」みたいなことはわかってないんじゃないかと。

私もそう思い、新卒でとある企業に就職した。その際、社内報みたいなものがあり、新入社員全員の自己紹介と上司だか先輩だかのコメントが付いたものが発行された。

これが、私から観ると実にギャグレベルの高いものだったのだ。

新入社員全員が顔写真を乗せるのだが、顔が岩みたいなヤツが本物の岩の写真を載せたり(ネットもない頃、どこから探してきたんだ?)、とある女性社員が別の男性社員の、学生時代の写真を「自分の写真」として載せたり。「写真ボケ」の他にも、文章部分でだれもがボケ倒していた。
まるで、何かの雑誌の投稿欄のようだった。

しかも、示し合わせたわけではないのがおそろしい。こんな悪ふざけだらけの社内報になったのは、まったくの偶然だ。
それをそのまま乗っけた「社内報」をつくっていた先輩も、何を考えていたのか。ちなみに、社内報を編集した人が焚きつけたというわけでもない(後に、偉い人から怒られたらしい)。

私の紹介部分を直属の上司が担当したが、「おたくなやつだ」と書いてあった。90年代初頭、まだミヤザキ事件のイメージが抜けない頃である。完全なマイナスイメージだ。
今、出会ったらブッ殺してやろうと思う。
ちなみに、私の顔写真の部分はその上司が書いた私の似顔絵だった。こういうところにも、上司の「出たがり」、「欲しがり」な感じがよく出ている。
今、出会ったらブッ殺してやろうと思う。
(ただし、この上司もギャグレベルが低いというわけではなかった。)

そんなギャグレベルの高い人々だったが、では仕事の仕方や立ち居振る舞いが面白くてセンスが高かったかというと、そんなことはなかった。通常の会社社会と同じだった。

だから、ギャグセンスが高いことと、何かユートピア的なハイセンスコミュニティが形成されることはまったく別だと、新卒時に知ってしまった。

「クラスで先頭を切っていろいろとやっているやつら(会社社会ではもちろん、クラスで先頭切っているやつがやはり先頭を切っているものだ)は、たいして面白くないんだ」という感覚は、まったくの偏見だったのだ。
めちゃくちゃ面白いことだってある。
しかしそれが、ふだんの生活に関わってくるかというと、それは関係ないのだ。

後は、めちゃくちゃセンスのないやつと付き合わされ、センスがよかったり、ナイスな人間関係を結んでいる人からは、見下げ果てた人間だと思われ付き合わせてもらえなかった。

いつも大通りの向こうから、楽しそうにキャッキャする人々のたまり場になっているファミレスを、恨めしそうに見ているだけだった。

おしまい

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