見出し画像

90年代に「お見合い」とは何だったのか(極私的な話中心に)

前回のテキストを書いていて思い出したので、適当なことを書く。

90年代の「お見合い」の話である。

たとえば「お料理教室」で、副業でお見合いをあっせんしているところもあった。
「オンナばかりに料理をつくらせようというのか!!」とか、怒らないでね。時代は90年代だし、私がその料理教室をつくったんじゃないんだから。

あと、この頃はまだ地域に「お見合い世話焼きおばさん」が存在していた。
今でも覚えているのは、「お見合い世話焼きおばさん」の一人に、お見合いについての話を聞かせてもらった際、

「最初のデートで、ぜったいに二人で映画を観に行かないでください。最初に映画を見に行って、うまく行ったためしがないんです」
と言われたこと。

まあその人なりの経験則なのだろうが、言いたいことはわかる。
ほぼ初対面の二人が映画を観たときの感想、すり合わせるのがこわすぎる。男側も女側も、チョイスに気を遣うだろう。
そういえば知り合いで、映画にむちゃくちゃくわしくて、とあるにっかつロマンポルノが本当によくできているということで、女性を誘って「リアル・タクシードライバー」と言われていた人もいたな。

90年代半ば、会社の先輩と話をしていて他部署の人の話になり、
「あの人? ああ、結婚してるよ。見合いだけどね」
と言われたこともある。
「あの人、結婚してるよ、お見合いだったけど」
という妙な「付け足し」は、まったく別の人からも聞いたことがある。

その裏には「自力で結婚相手を見つけられなかった、情けないヤツ」というニュアンスがあるのは明らかだ。

実家の仕事を継ぐためには、立場上ぜったいに結婚しないといけない、という立場の男の後輩がいて、「親戚の集まりで結婚しろ、結婚しろ、とうるさいんですよ」と愚痴られたのが2000年代。
「家業を継ぐには結婚しろ」とはずいぶん古い考えだな、地方だからかな、でも地方なら今でも「お見合い世話焼きおばさん」がいるだろう、と思って彼に聞いたら、そんな人はもういないという。

「お見合い世話焼きおばさん」は、少なくともその後輩の地元では2000年代に絶滅していたらしい。

自分が結婚相手を世話してくれるわけでもないのに、私の後輩に酒に酔った勢いで「なんで結婚しないんだ!」とすごむ親戚のおじさん連中、というのは、私から見れば、ひどい話である。
映画「サマーウォーズ」の「理想的な親戚描写」が、幻想でしかないことを表しているようなエピソードだった(その後、その後輩は無事に結婚したが、相手とどこで知り合ったのかとかは知らない。そいつとケンカして、もう付き合いがないから(笑))。

こんなこと、書かなくてもわかると思うが、2000年代くらいまでの「見合い結婚を下に観る傾向」の裏には当然、「恋愛結婚が至高」という考えがある。
なぜ「恋愛結婚が至高」かと言えば、それは「恋愛市場」でうまく立ち回って理想のパートナーをゲットしたという、「バトルによる勝ち組こそ偉い」という考えから来ている(これを批判したのが「本田透」だが、彼も本当にロクでもないやつだったと思う。ペンネームを変えたのか、消えたのがその証拠。「脳内嫁」なんて主張を繰り返していたら、結婚できないもんな。現在、結婚しているかどうか知らんが)。

「恋愛」を志向のものと考えれば、それは「結婚」という帰結と矛盾が生じる場合が、当然出てくる。
このことが1983~1985年頃まで放送していたテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」などの人気につながっていた。
つまり、人が生きたいように生きる、「愛したい人を愛する」ことは、「核家族を最小とした社会全体」と矛盾することがある、じゃあ恋愛ってなんだ、恋愛ってヒューマニズムじゃなかったのか、なぜ「人を好きになる自然な感情」が、人を傷つけてしまうのか、社会システムを破壊してしまうのか、というテーマが、「金妻」に限らず「不倫ドラマ」の中核なのである。

しかしそんなこと、もうだれも言わなくなった。

今は「マッチングアプリ」なるものがあるらしく、「マッチングアプリ」で知り合って結婚したからってあーだこーだ言うこともないだろう。ないよね? あるのかな?
(あったとしても、知りたくないのでコメントしないでください)

まあどうでもいいよ!!

風呂入って、寝よ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?