素人だけでマラソン大会を開催してみたら、すごいことになった。
16:00、最終走者がゴールを駆け抜けた。
僕はそのシーンを見ていなかったのだけど、後から聞いた話では、最終走者となった男性は、ゴール直後、待っていた友人たちの出迎えに、堪えていた感情を抑えきれず、涙したと聞いた。
その場に居たら、僕もたぶん泣いていた…
最終走者がゴールを駆け抜ける。
つまりそれは同時にマラソン大会が終了した瞬間を意味する。
実はレースの制限時間は15:30だったので、競技時間は過ぎていたのだけど、
スタッフの邊見から、
「ここまで走り続けてきたランナーを最後まで走らせてあげたい」
と熱望されたため、DNFさせることなく、コースを開放することにしたのだ。
自分たちが主催しているがゆえに出来る判断だったし、彼の意見はとても愛に溢れていて、電話越しにいい奴だなと思った。
実際に邊見は見知らぬ人に「iPhoneのライト点灯してますよ」と声をかけられるくらい優男のいい奴である。
最終走者がゴールしたころ、僕は車を走らせながらコースを回っていたのだけど、スタッフたちが撤収作業に入る姿を見て、大会が終了した事を実感した。
うまく表現できないけど、
OASISの「Whatever」が似合う夕暮れ時、静かに「Beyond」は幕を閉じた。
素人だけで作るマラソン大会
思い返せば、9月にコースが決まり、そこから約3ヶ月でよく開催まで持って来れたなと我ながら驚いている。「マラソン大会って3ヶ月で準備できるんだ!」と。
※感動的な話が台無しになるので、「計画性の無さ」はここでは触れないでおく。
しかもマラソン大会はおろか、トラックレースさえも開催したことの無いイベントの「素人集団」がである。
でも先にお伝えすると、大会終了後に実施したアンケート調査では「また参加したいですか?」という設問に対して、約90%の方が「YES」と回答してくれた。
これには泣いた。
(全て読んでます)
漫画「ワンピース」の主人公、ルフィーの名言で、
「おれは1人じゃ生きていけねぇ!!!」
みたいなシーンがあったと思うのだけど、まさにその通りで「Beyond」開催に至るまで、多くの人にサポートしてもらい、そのおかげで、このような高評価に繋がったと思っている。
熱い思いは必ず伝播する
こんな超人気漫画を例にするのも気が引けるのだけど、
ルフィーは「海賊王におれはなる!」と宣言し、その熱い思いに共感した人間が、また1人、また1人と仲間になって強力なチームを作っていく。
今回の「Beyond」では、長い長いマラソン史でおそらく初めてとなるであろう、
「世界一、自己ベスト更新率の高いマラソン大会を作る!」
というコンセプトで大会作りがスタートした。
なぜ、「世界一、自己ベスト更新率の高いマラソン大会を作る!」がコンセプトなのか、気になる方はこちらの記事をお読みください。
逆に言うと、それしか持ってなかった。
マラソン大会を開催するためのノウハウも無い、あるのは想いだけ。
ただ、このコンセプトに共感してくれる方が多く、日を追うごとにどんどん協力者が増えていった。
〇〇について悩んでいると話すと、〇〇について詳しい人を紹介するよ!といった形で、不足しているものがどんどん満たされていく。
気付けば、いつの間にか、ちゃんと大会の形になっていた。
特に「Beyond」開催にあたりお世話になったのは、コースを貸してくれた日本自動車研究所の中谷さんと冨田さんだ。
大会中止の危機
今だからこそ話せるが、9月末頃、日本自動車研究所内で、
「この状況下でマラソン大会を開催するのは如何なものか?」と大会開催に待ったをかける声が上がった。
コロナが再流行し、多くのイベントが中止や縮小となっているタイミングだったから当然のことで、しかも、スポーツイベント開催は日本自動車研究所にとっても初の試みだったから慎重にならざるおえなかった。
ちょうどこの頃、個人的にも怪我をして走れていたなかったので、 「Beyond」が開催できるのか?という不安と重なって、憂鬱な日々を過ごしていた。
ストレスのあまり、血便が出た!と大騒ぎしたら、ただの痔だったのもこの時期。
そんな状況ながら、中谷さん、冨田さんは一生懸命、社内調整に奔走してくれて、見事に大会開催の権利を勝ち取ってくれたのだ。
中谷さんの、
「せっかくのご縁ですから、なんとか進めさせて頂きます!」
この一言には本当に胸が熱くなった。
暗いトンネルに光が差すってこういうことなのかと。
さらには大会当日も色々な場面でフォローをしてくれて、
中谷or冨田…お前ってやつは……
と何度思ったことか。
本当に、、、本当に、、、あざした!!!
役割以上の仕事を
「Beyond」ではそれ以外にも多くの方がサポートしてくれた。
・ペースメーカー
・ボランティアスタッフ
・協賛企業
・その他
など、挙げればキリがないくらいだ。
帰りの車中でスタッフの三津家が、
「大会スタッフの皆さんが役割以上の仕事をしてくれた」
と言っていたが、アンケートにも全く同じことが書かれていて、スタッフに対する温かいメッセージが特に多かった。(本気で大会を開催したからなのか、本気でアンケートに協力してくれた人が多かったように感じる)
中には、
「引っ張ってくれたペースメーカーの名前を知りたい!今度はこっちが応援する!」
という意見もあり、この一言だけで、どれほど素晴らしいサポートをしてくれたのかが伝わってくるし、とにかく感謝の気持ちしかない。
僕が車でコースを回っているとき、いつ見ても大きく手を振って、選手にエールを送っていた給水所のスタッフも印象的だったな。
腕がちぎれないか心配になるくらい、ずっと手を振ってた。
良い仕事は関わる人を幸せにする
終わってみれば、「Beyond」を通して、
「仕事とは誰かを幸せにするためにある」。
という当たり前のことを再認識することができたと思う。
僕たちは、世界一、自己ベスト更新率の高いマラソン大会を作って、その先に待っている"幸せの総量"を増やしたいんだと。
やっぱり1人では生きていけねぇ!!
RSLABはまた「Beyond」を開催するだろう。
今回の反省点も、できなかったことも、全て注ぎ込んで作るだろう。
でも、きっとまた、
「1人では生きていけねぇ!!」
と叫んでいると思うので、その時は、皆さん力を貸してください。
一緒になってもっと良い大会を作りましょう!
改めて、マラソン大会「Beyond」に関わってくださった全ての方に感謝します。
またお会いしましょう!
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