記:2018年9月3日

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記:2018年9月3日
▼全文転記(記録を残すことは大切だ)
所要に応じて、新幹線を使って度々一宮を訪れる人が居る。氏は、その業績の中で自身の出身地である一宮の風景に運命的な出会を持つと言う。以来、鬼に惹かれるように何度も足を運んでいる。自身の業績と経験を役立てることはできないものか、と。その熱は熱い。
呼ばれれば、いつでも行きます。呼ばれなくても、出向きたい機会もあります。一宮が持つ可能性に尽力したいと。
されど、氏の助言が反映される場面は薄いようだ。同時にコトの進展を見守っても、その展開様相に困惑を覚えることが少なくない、という。
『こんなカタチでこんな集いでなんの意味があるのだろう?』と。
希望的観測的な期待感。それだけが支えとなっている。それでも、現実はついて来ない現実を味わうことになる。
『資料も用意して来ます。』
こういう展開になったら、この資料を提示しよう、と。準備に余念がない。一宮を訪れる際には必ずホテル泊となるので、ビジネスリュックを背負っている。『折りたたみの傘も入っているんですよ。』と苦笑いする。そして、
『今回もこの資料を提示する機会はありませんでした。』と残念そうな一面の中で、これを見てください、と引っ張り出したその笑顔は無邪気な子供のようなものだった。
一宮の位置が記載された古地図をフューチャーした絵だった。
『私はこれの原画を買いました。』
『これを見せて自慢したいわけではありませんよ。』
『ただ、関わる一人ひとりがこれくらいの熱量を持っていて欲しいと思います。』
『絵を買え、と言っているわけではありませんよ。その熱量は必ず言葉に現れますし、対話の中で何かの進展が具体的に見えてくるものです。』
『今、あなたとここで、この絵を囲んで話しているように。』
ーー中略ーー
また、会いましょう。
〜〜〜〜
以上。

・氏は、今もなお、新幹線で一宮を訪ねて来てくださいます。
・そして、近い将来、氏の“想い”を作品展示できる機会が訪れることでしょう。


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