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エラトステネース『カタステリズモイ』翻訳①大熊(おおぐま座)

大熊

 ヘーシオドスはこう言っている。この熊はアルカディアーに住んでいるリュカーオーンの娘であり、彼女はアルテミスとともに山々の中で狩りをして暮らすことを選んだ、と。彼女はゼウスに犯されたが、女神(=アルテミス)には隠したままにしていた。しかし、すでに臨月である彼女が水浴びしているとき、アルテミスに見られ、事が露見した。女神はそのことに怒り、彼女を獣に変えた。こうして熊となった彼女は出産し、子供はアルカスと名付けられた。そして、山にいた彼女は羊飼いたちに追い立てられ、赤ん坊とともにリュカーオーンに引き渡された。しばらく後、彼女は法を知らなかったので、ゼウスの聖なる禁域に入ろうとしてしまった。彼女は自分の息子とアルカディアー人たちに追われ、定められた法のために殺されそうになった。ゼウスは彼女らの血縁ゆえに、彼女を連れていき、星々の中に置いた。彼女に起こった出来事のゆえに、この星座は「熊」と名付けられた。

 この星座が持つ星は以下。頭に暗い星を7個、両耳に2個ずつ、肩甲骨に明るい星を1個、胸に2個、背中に明るい星を1個、前足のそばに2個、後ろ足のそばに2個、足の先端のそばに2個、尾に3個。星は全部で24個。

・ヘーシオドス:ヘーシオドスは『神統記』『仕事と日々』などの作者。とはいえギリシャ神話好きには説明不要ですね。この話は『名婦列伝』という作品からの引用らしいのですが、この『名婦列伝』は偽作との見方が濃厚なようです。もっとも、エラトステネースはヘーシオドス作と思っていたようですが。ちなみに、本翻訳「はじめに」に書いたようにそもそも『カタステリズモイ』にも偽作説があるので、エラトステネースといっても『カタステリズモイ』の作者とされる某か、ということなんですが(以降、単に「エラトステネース」といった場合、この『カタステリズモイ』の作者のこととします)。ああもうややこしい!
 
・アルカディアー:地名。ペロポネソス半島の真ん中に位置していて、古くからザ・牧歌的って感じの理想郷と考えられてきました。後述のアルカスがこの地に名前を与えたと言われていますが、そうだとすればここで語られている事件の起きた頃はまだそういう名前では呼ばれていなかったことになります。
 
・リュカーオーンの娘:リュカーオーンは伝説上のアルカディアーの王。「熊の番人」の回でまた出てくるのでお楽しみに。なお、今回の主役である彼の娘はここでは名前は出てきていませんが、「熊の番人」の回でカッリストーという名前が出ています。
 
・アルテミス:これも説明不要であると思いますが一応。狩猟の女神ですね。自分自身も処女神で、かつ侍女にするのも処女に限っていました。それでカッリストーの妊娠にブチ切れたというわけです。
 
・ゼウス:さらに説明不要な神様。一体ギリシャ神話の何割がこの神様の浮気を発端にしているんでしょうね…?ここでもトラブルメイカーっぷりを存分に発揮しています。
 
・定められた法のために…:この聖域に入った罰は死罪だったそうです。なお、具体的にいうとこの場所はリュカイオン山のようです。詳しくは「熊の番人」の回にて。
 
・血縁ゆえに…:かなり省略された言い方ですが、子供に親を殺させるのはかわいそうというゼウスの配慮でしょう。
 
・全部で24個:2個足りていません。「前足のそばに2個」と追加されている写本もあり、それだと帳尻があっています。


 この話は一般に知られているバージョンとほとんど違いはありませんね。むしろ、熊になったカッリストーと息子アルカスがリュカーオーンに引き渡されたとか、カッリストーが追われた理由がゼウスの聖域に入ってしまったからだとか、一般的に知られるバージョンよりちょっと解像度高めですらあります。
 
 たとえばオウィディウスの『変身物語』(これもギリシャ神話好きには説明不要なほど有名ですね)では、アルカスが誰に預けられて成長したのかは書かれていませんし、アルカスが熊となった母親と会ったのも偶然ということになっています。
 
 なお、息子のアルカスの方はこぐま座になったという話もありますが、この『カタステリズモイ』にもそのようには書かれていませんし(むしろアルカスはうしかい座になったとされている)、他の古典作品にも見られない話のようです。

 アルカスがこぐま座になったという話はジョゼフ・アディソンというイギリスの詩人が上述の『変身物語』を翻案する際に付け加えられた話が元ネタらしいのですが、おそらく日本でこの話が流布した直接の原因はトマス・ブルフィンチ(有名なギリシャ神話まとめ本を書いた作家)、リチャード・ヒンクリー・アレン(天文研究家。著書は人気を博したが誤りも少なくはない)および野尻抱影(天文研究家。アレンの著書を元に星座神話を紹介)だと思われます。