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ゲルマーニクス『アラーテーア』翻訳⑥ 断片4

1-24 木星の影響

 ゼウスはクロノスよりも好ましいものだ。ゼウスが太陽の炎から逃げるとき、彼自身の顔をよく輝かす。そのとき草木には、デーメーテールに委ねられた実り、すなわち輝く美しさの花から生み出された果実がまず見られることであろう。家畜の出産に失望することもない。家畜小屋は突如として産声によって騒がしくなり、柵の高い羊小屋でも羊は産声を上げる。同じくゼウスは、荒々しい「牡牛」の角に触れるときには雨を恵んでくれる。暖かさのせいであまりにも大地が乾いてしまい、種が捨て置かれてしまうことのないように。そして彼がプレイアスたちから逃げ、さらに「双子」に近付くときには、その恵んだ雨を今度は飲み干してしまう。ゼウスは「蟹」においては最も穏やかになり、その影響は節度あるものとなり、激しい暑さを和らげてくれる。父なるゼウスよ、「獅子」はあなたのもとにあるときは畏敬さるべきものである。「獅子」は迫りくる病を遠ざけ、ハーイデースの門戸を閉じてくれる。ゼウスよ、「乙女」においてはあなたは農民らの願いを叶え始めてくれる。そのときにはすでに畑は実り、収穫が終わったときには穂で作られた冠が、家の守護神の前にぶら下げて捧げられている。「天秤」においては葡萄はよく熟し、果汁で膨れ上がる。ディオニューソスよ、「蠍」のところに立ち入ったゼウスはあなたの贈り物を蓄えるのだ。そして「矢を持つ者」のところへ昇るゼウスは、その寒さを決して与えはせず、冬は喜ばしいものになる。しかしながら「山羊の角を持つ者」においては並の寒さを与える。ゼウスが「水を注ぐ者」と「魚たち」に働きかけるときには、彼は荒れ狂う。彼が疲れ果てその戦車を停めるときは、その星座が何であれ、すべての星は冬の一月のようになり混乱をきたす。「羊毛に覆われた者」に停まろうとカルターゴーの「獅子」の背中を通っていても、ゼウスは雷鳴を轟かす。

・断片4:前述のように断片4は断片3からの続きと思われます。なお、冒頭部分(2行目)に若干の欠落があるようですが、それはとりあえず無視して訳しておきました。
 
・「牡牛」の角に…:いきなりおうし座から始まっているように見えますが、おそらくは最初の部分がおひつじ座の話に相当すると思われます。前述した欠落箇所にはおひつじ座と書いてあった可能性が高いです。
 
・太陽の炎から逃げるとき…:太陽光の影響から逃れて木星が見えるようになっているタイミングのことだと思われますが、具体的にそれがどのタイミングかというと、おそらくは夜明け前に太陽が昇る直前(天文学用語でいうheliacal rising)かと思われます。というかこの作品以外にも、これこれの天体が昇るとき…という言い方がされた場合、大体はこのheliacal risingを指しているので、ここもそうだと考えるのが妥当かと思われます。
 
・ディオニューソスよ…:ディオニューソスの与えてくれる贈り物とは収穫された葡萄から作られたワインのこと。
 
・カルターゴーの「獅子」:しし座のモデルになったのはネメアーという地域を荒らし回っていた獅子であり、ネメアーはギリシャなのでこの書き方は変なのですが、そうではなくここではライオンという動物自体がカルターゴーに生息するものである、という意味でしょうか。ネメアーの獅子にしても、ギリシャにライオンがいること自体珍しく、場違い感というか怪物感があるのでああいう神話ができたのでしょうし。

25-48 火星の影響

 また、アレースがポイボスの火から逃げおおせたときに、「牡羊」、「双子」、あるいは獰猛な「獅子」の星座、重さが量られ均等にされた「鋏」、または弓の手練れ、雨を注ぐ者のところにこの神がいるのなら、大気は厚い雲に覆われて鈍るだろう。また、猛烈な風が吹くことは全くなく、凪の海がかき回されることはないだろう。同じく、勇敢なるアレースがこれらの星座において、その星の火を固定させ、運行を不活発に保っているときには、広漠たる天上は頻りに雷で撃たれることになる。そのとき雲は切り開かれ、雹を伴う豪雨をもたらす。その上、冬の星座に彼が止まったときには、その暴力的なる神性でもって、彼はすべての影響力をつぎ込むだろう。さらに、前のめりの「牡牛」、実りもたらす「女神」、あるいは冬至の「山羊の角を持つ者」にアレースが触れるとき、彼は苛烈ではない。そのとき彼は適度な雨を、澄み切った天上から注いでくれる。「蟹」のところを巡っているアレースは、死をもたらすセイリオスが昇り大地を焼き焦がすときには、その有害なる熱を和らげてくれる。さらに、餌食を探し回る「蠍」がその尾の針を振り上げ、12星座の最後のものたる「魚たち」の星が今や寒さを終わらそうとする場所にいるアレースは、それらの星座をかき乱すことはせず、また照る日の光をもやによって隠すことは全くない。しかし、もしも偶然にも大気が押し負けてその日の天候が変わってしまい、風が水面に吹き込むようなことがあれば、そのとき凍える寒さはこの上ないものとなり、北風が全世界を支配してしまうことになるだろう。

・ポイボスの火から逃げおおせたとき…:太陽光の影響がなく火星が見えるとき、の意。詳しくは木星のところで前述。
 
・重さが量られ均等にされた「鋏」:てんびん座のこと。過去の名称である「鋏」と、天秤の特徴がミックスされたような言い方です。
 
・弓の手練れ:いて座のこと。
 
・実りもたらす「女神」:おとめ座のこと。たしかにおとめ座のモデルは豊穣神であるデーメーテールであるとも言われるのですが、この作品では正義の女神ディケー説しか今まで出さなかったのでやや唐突な印象は受けます。
 
・死をもたらすセイリオス:セイリオス(シリウス)が昇るころは真夏なのでそのこと。もちろん暑くなるのはシリウスのせいではなく真夏の太陽のせいなのですが。
 
・餌食を探し回る「蠍」:単に餌を探し回っているという文字通りの意味かもしれませんが、オーリーオーンを刺すために彼を探し回っているという含みもあるかもしれません。

49-109 金星の影響

 また、生育促すアプロディーテーは、夜明けにかの家畜の輝く羊毛とともに煌めくときには、耕しやすい土塊を春の寒さで固めてしまう。同じく彼女が夜明けの同じ時間に天上の「牡牛」の上にやって来るときには、黒々とした雨と頻りに落ちる雷と雹が大地を覆うだろう。「双子」のところにいるアプロディーテーは季節を和らげてくれる。そして燃え立つ「蟹」の星とともに彼女が煌めくときには、晴天を信じるなかれ。雲が長く留まるとも思ってはならない。この季節には確実なものは何もないのだ。彼女がネメアーの「獅子」の星座の領域にその座を占めるとき、彼女は穏やかに光り、燃え上がるような暑さを和らげてくれる。「乙女」と「天秤」においては雲は常に浮かぶのみでその位置を変えない。アプロディーテーが獰猛なる「蠍」の上にいるときにもまた、天は信用のおけないものとなる。そのときすべてを動かしているのは不確かな法則だからだ。ああ、そのときにゼウスがもたらす大地を覆う雨はいかばかりか。大気を通って濃く集まった、塊なす無情なる雹が落ちること、天に頻りに轟音を響かすこともいかばかりか。アプロディーテーが弓矢を引き絞る者の星座に到達したとき、大地に雨がないということはなく、海に風がないということもない。そして「山羊の角を持つ者」の場所にキュテレイアーの星の火が達するとき、天に響く轟音が死すべき者らの心臓を慄かせる。さらに、湿った水を注ぎ込む者は冷たい豪雨を予示することだろう。また、アプロディーテーが双子の「魚たち」を通り最初の星座へと戻るとき、冬の冷たい雨と堅い雹が降るだろう。

 成長促すアプロディーテーは、ポースポロスとして天に進み来て、エーオースとともに以上のような目印を与えてくれる。しかしヘスペロスとしての彼女が天上の星の火を呼び起こし、大地に夜を導き始めるときには、昇り来るキュテレイアーは以下のようなことを警告してくれるであろう。春には豪雨と落ちる稲妻に注意を払うことを怠るなかれ。プリクソスの家畜の黄金の星座においてアプロディーテーは輝くが、そのとき雨風の混じる雲が騒音を鳴らす。そして大地には絶え間なく吹きすさぶ突風があり、天から恐ろしい雹が投げ落とされ、打撃を与えてくる。「牡牛」の星座が煌めくとき、春はさらに麗らかなものとなる。「双子」においても例によって不安定な気候が保たれる。アプロディーテーは日の光を与えるかと思えば天に雲を連れてくる。そして曇っているのに日の光が射し込んでくることに驚かされもするだろう。あるときは風のもとでアプロディーテーが輝くかと思えば、直後のまたあるときには冷たい豪雨のもとで輝きもする。曇りと晴天とが交互に変わるのだ。このようにあてにならない彼女ではあるが、広漠たる「蟹」の星座に踏み込んだときは、夜は平穏を保つだろう。病もたらす日の光が照ることもないし、「蟹」よりも星の密集した他の星座のように、体を弱め強張らせるようなこともない。季節は場違いなほどに落ち着き、すべてが穏やかになる。そのとき、大気はこの星座によって慎み深くなるのだ。大いなる「獅子」の星座のところで見られるアプロディーテーはまた、天球が猛る太陽によって熱くならないよう取り計らう。「乙女」においては雨がある。空ろな雲に閉じ込められた風が反響し、その音が轟音となり雲を満たす。また、アプロディーテーは「鋏」が秋の終わりの暖かさを最初の凍える寒さで打ち負かすとき、秋から雨を奪い去り、絶え間のない曇り空で満たすだろう。そして「蠍」においては雨は稀で、大地が空となったせいで何かに煩わされることが危惧されるだろう。さらに、素早い矢がつがえられたケンタウロスの曲がった弓をアプロディーテーが通るときには、恐ろしく絶え間ない豪雨がすべてに襲いかかる。「山羊の角を持つ者」は頻繁な雷でもって雲を引き裂き、そこから雨と轟音を追い立てる。そして震える輝きの燃え立つ雷の矢の光でもって、死すべき者らを圧倒する。雨を降らせる「水を注ぐ者」はこれと同じことを予め伝えてくれることだろう。最後の星座である「魚たち」は、アプロディーテーの星がそこに印を付けるときには、荒れ狂う風によって海が波立つことを示すだろう。

・かの家畜:輝く羊毛とも言われていることから分かるようにおひつじ座のこと。
 
・弓矢を引き絞る者:いて座のこと。
 
・キュテレイアー:アプロディーテーの異称。前述。
 
・ポースポロス:「光をもたらす者」の意味で、明けの明星としての金星のこと。下記のヘスペロスも参照。
 
・エーオースとともに…:エーオースとは暁を擬人化した女神(前述)。なお、この箇所には原文の欠損がありますが、残った部分のみで訳しておきました。
 
・ヘスペロス:「宵の者」の意味で、前述のポースポロスに対して宵の明星のこと。ちなみに、他の惑星については例のheliacal risingの際の話なのですが、この金星と後述する水星だけは沈むときの影響についても述べられています。金星と水星は公転周期が地球よりも短い(1年未満)ので観測データがたくさんあるためでしょうか…?
 
・プリクソスの家畜:これもおひつじ座のこと。プリクソスが乗っていたため。
 
・「牡牛」の星座が煌めくとき…:この箇所にも原文の欠損あり。残っている部分だけ訳す形にしました。
 
・「蟹」よりも星の密集した…:急に星座の星の密度の話がされましたが、たしかに言われてみればかに座は他の黄道星座よりもスカスカな気がします。にしても唐突な観点ですが。
 
・素早い矢がつがえられたケンタウロスの曲がった弓:いて座の言い換え。ゲルマーニクスはケンタウルス座のことは今までケンタウロスと何度も呼んできましたが、いて座をケンタウロスと呼ぶのは何気に珍しいです。

110-163 水星の影響

 以上のような、確かな目印により知られるものについて知ったからには、次は夜空におけるキュッレーニオスの星の火が、ポイボスの戦車の炎だけは避けて普段の行路である朝の星座を通るとき、何に影響を与えるのかを把握するがよい。黄金の毛皮持つかの家畜の星座においてヘルメースが瞬くとき、激しく恐ろしい風と雹が猛威をふるい、それはこの季節の間は絶え間なく続くので耐え続けるほかない。それどころか、ある地域においては雨さえも生じることに気付くことだろう。そのときすべての野において豪雨があるわけではないのではあるのだが。そして「牡牛」の曲がった角のもとへとヘルメースが自身を巡らせる時期には、彼は雹を降らせることによってそれを示す。ヘルメースが「双子」にいるときは、種まく者には平穏を、そして船乗りには穏やかな空と海を保証してくれる。「蟹」においては雲と雨、暑さと寒さを彼は混ぜ合わせる。ヘルメースが巨大な「獅子」の熱せられた居場所において輝きを放つときには、いくら西風の大気が和らげてくれるとて、確実な暑さがやって来るであろう。しかし、ヘルメースの星の火がアストライアーの聖所を占めるや否や、彼はすべてをかき乱すのだが、「天秤」に来たときには雨のみがある。そして「蠍」に来たときには雨を降らせようとする。キュッレーニオスが今やケンタウロスの「弓」に達しようとするときには、至るところに風があり、至るところに雹が降る。そして雲からは雷が弾け出る。また、彼が二つの動物の姿持つ「山羊の角を持つ者」の場所に昇るときには、襲い来る豪雨を頻繁にもたらすか、あるいは雷を投げつけて大いなるオリュンポスたる天を突き破ることだろう。水を注ぐかのプリュギアー人は澄み切った空にいかなる雲をも加えることはない。また、凍える突風と天に響く轟音は「魚たち」によって知ることが可能なのだが、これらと同じものを予測するためのより良い目印は他には存在しないだろう。

 以上で、キュッレーニオスの星の火が昇る際、太陽の光とともに何が起こるのかを私は教えたのだから、今度はポイボスが沈む際にこの星が季節にいかなる影響が与えられるのかを学ぶがよい。雷鳴轟かす大いなる者の領域たる天を進み行くヘルメースが、かの家畜の黄金の背中の上に昇るとき、冬の豪雨と頻繁な雷にその全体が呪われた春が来るだろう。そうした春は盛りの田園を打ち負かしてしまい、新たな収穫の希望は雹に打たれて砕かれ、寒さによって凍り付く。次いで、アゲーノールの「牡牛」の星鏤められた角、「双子」が巡らす星、猛り狂う星とともに巡る「蟹」、これらを皆、徹底的に調べ上げるのなら、荒れ狂う「牡牛」が雹を降らすことに気付くだろう。さらに、「蟹」と「双子」を巡るヘルメースがもたらす事柄は、決して称賛されるようなものではないことにも気付くであろう。そして、熱き「獅子」がその足を置き続ける場所において、ヘルメースは猛る熱によって焼かれるのだ。さらに、手に穂を持つ正しき「女神」は、冷たい突風に澄み切った空の平穏を加え合わせる。そして「天秤」は、自分を手にしている女神に異を唱えることはしない。むしろ彼女と同様に、「天秤」は空が澄むのを知らせるのだ。海も大空も、吹く風を止ませる。「蠍」においては雨は稀であるのだが、「矢を持つ者」の星座の明るい光にヘルメースが触れるとき、彼は黒々とした雲によってしばしば雨を生じさせ、猛る雷鳴をもたらす。「山羊の角を持つ者」においては常に天から小雨が滴る。「水を注ぐ者」は荒れ狂う東風によって震え、凍える。目敏く目印を捉えようという苦労の甲斐が私の心を裏切らず、確かな道に導いてくれるのだとしたらだが、以下の目印は無益なものとはならないはずだ。すなわちヘルメースが「魚たち」にあるとき、彼は冬の雨をもたらし、轟音伴う絶え間ない雷の火によって雲を揺り動かすのだ。

・キュッレーニオス:「キュッレーネー山の神」の意で、ヘルメースの別名。ヘルメースはキュッレーネー山で生まれたため。
 
・黄金の毛皮持つかの家畜:これもやはりおひつじ座のこと。
 
・「蟹」においては…:この箇所にも原文の欠損あり。
 
・アストライアーの聖所:おとめ座の領域のこと。おとめ座がアストライアー(星の女)とも呼ばれることは前述。
 
・ケンタウロスの「弓」:もちろんこのケンタウロスとはケンタウルス座のほうではなくいて座のこと。この箇所でも珍しくいて座はケンタウロスと呼ばれています。
 
・二つの動物の姿持つ:やぎ座が半山羊半魚の奇妙な姿をしている星座だということは前述。
 
・オリュンポスたる天:オリュンポス山は実在の山ではありますが、ここでは神々の住む場所ということで天の言い換えとして用いられています。
 
・水を注ぐかのプリュギアー人:みずがめ座のこと。みずがめ座のモデルであるガニュメーデースは実際はトロイアーの出身なのですが、トロイアーはプリュギアーに近いため以前にもプリュギアー人と呼ばれていました。
 
・今度はポイボスが沈む際に…:明け方と夕方の影響を個別に述べるのは金星と同じ。土星はめちゃくちゃ短くて、木星と火星はそこそこで、金星と水星はこんなに長々と語られているのは公転周期のせいで観測データの量に差があるのが如実に反映されてるみたいで面白いですね。ただ、火星の公転周期は約2年なので、そこはもうちょっと頑張ってもいいんじゃないかと思わないでもないです。
 
・アゲーノールの「牡牛」:アゲーノールとはエウローペーの父のこと。おうし座はゼウスがエウローペーを拐った際に化けた牛がモデルなので、アゲーノールと関係なくはないんですが、「アゲーノールの」とまで言われると、えっ…!?とはなります。
 
・手に穂を持つ正しき「女神」:おとめ座のこと。穂とはα星のスピカのことで、スピカの語源がラテン語の「穂」であることは前述。「正しき」とはディケーのことを示唆しているのでしょう。
 
・「天秤」は、自分を手にしている女神に…:てんびん座は元々さそり座の鋏部分であったわけで、そのため古来より伝わる神話はないのですが、この記述からするとゲルマーニクスはこの天秤をディケーの天秤と考えているようです。こうした考え方がローマでは一般的なものだったかどうかまでは調べきれてないのですが、本書『アラーテーア』の影響力を考えると、現在の星座解説書などでも書かれている「てんびん座=ディケーの天秤説」の元ネタの一つはこの箇所の記述であると考えられるかもしれません。