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エラトステネース『カタステリズモイ』翻訳㊹乳の輪(天の川)

乳の輪

 これは輪のように見える形を為し、「ガラクシアース」という名で呼ばれているという。ゼウスの息子たちは、ヘーラーの乳を吸った者でなければ天の栄誉に与ることが許されていなかった。それゆえにヘルメースは、ヘーラクレースが生まれたとき、彼を抱き上げてヘーラーの胸に彼を置き、そしてヘーラクレースは乳を吸ったという。それに気付いたヘーラーはヘーラクレースを放り投げた。こうして、そのとき残った母乳がこぼれ散って、乳の輪ができた。

・乳の輪:天の川のこと。そんな風に読む人はいないと思いますが一応念のため言っておきますが、乳首の周辺部の話ではないですからね!なお、ラテン語もギリシャ語のこの表現に倣って天の川を「circulus lacteus(同じく「乳の輪」の意)」、あるいは「via lactea(乳の道)」と表現し、さらにこれがヨーロッパの諸言語にも取り入れられました。英語で天の川はmilky wayと言うのはこの流れというわけです。ただ、「川」とか「道」とかはその形状からわかりやすいのですが、「輪」って何よ?となりますね。これは、星空を天球と考えたとき、天の川が天球をぐるっと一周する輪のように思えるからです。原語ではこの「乳の輪」はkyklos galaxiāsなのですが、獣帯(黄道のこと。「犬の前にいる者」の回参照)もzōidiakos kyklosで、同じkyklosという語で表現されていることを考えるとわかりやすいかと。
 
・ガラクシアース:言うまでもなく英語galaxyの語源。ガラクシアースといえばギリシャ語でもほぼ天の川という意味で使われる言葉でしたが、原義としては、gala(乳)から派生した言葉で、本来は「乳に関する」ぐらいの意味でした。余談ですが乳製品などに含まれる糖類のガラクトースも同じ語源です。
 
・ヘーラーの乳を吸った者でなければ…:ゼウスの息子かつヘーラーに授乳されていない、つまりヘーラーを母としない神(ヘーラーが母でなくともその母乳を飲めばOKとのことですが、ヘーラーの嫉妬深さを考えるとそんなことわざわざするかなあ…!?)となると該当者はけっこういると思うのですが、半神半人のヘーラクレースが死後神となるのには必要なことだったのかもしれません。まあ、ディオニューソスなんかだって人間とゼウスとの間の子供ですが普通に神様やってるので、本当に必須なのかは怪しいところではありますが。
 
・ヘーラクレースが生まれたとき…:これには異説があり、ヘーラーの嫉妬を恐れて捨てられたヘーラクレースのそばをヘーラーとアテーナーが通りかかったとき、アテーナーがヘーラーに母乳を飲ませることを提案し、そのころから怪力だった赤ん坊のヘーラクレースがものすごい力で母乳を吸うのにびっくりしてヘーラーが思わずヘーラクレースを引き離してしまった、というバージョンもあるようです。


 さて、『カタステリズモイ』の最後を飾るのは、前回の惑星の話と同じく、星座ではなく天の川の話です。
 
 天の川というと、天の「川」と言っちゃってるように、日本では川のイメージが強すぎて(七夕で織姫と彦星が云々…って話もありますしね)、乳汁に見立てると言われてもなかなかピンとこないのですが、上述のようにヨーロッパの諸言語ではそうなんです。で、こうした見立ては古代ギリシャで既にされていたということで。…もし我々が天の川をMilky wayだのそれに類する名前で呼んでいるヨーロッパとかの人だったなら、「すげえ!そんなに昔からなんだ!」となるところですが、やっぱりいまいちピンとこないのが残念です。
 
 それにしても、ヘーラクレースはゼウスが浮気で作った息子であるので、例によってヘーラーが色々嫌がらせをするわけですが、うっかり母乳を飲ませてしまったせいでヘーラクレースが死後に神になったとしたなら皮肉な話ですね。そもそも「ヘーラクレース」という名前自体が「ヘーラーの栄光」という意味なのでそこもまた皮肉なんですが(まあ彼は死後ヘーラーと和解したと言われていますが)。
 
 あと余談ですが、「天の川銀河」という用語について、川と河が被ってんじゃん!フラダンスとかチゲ鍋とかサハラ砂漠とかサルサソースとかみたいな重複表現か??とか思ってたんですが、英語の「Milky way galaxy」だってギリシャ語にすればガラクシアース・ガラクシアースになっちゃって同じく重複表現ということですね。
 
 まあ、そもそも「銀河」という言葉自体が天の川を意味していて、宇宙には他にも天の川のように天体が集まった一団があることが分かってからは「銀河」をその意味にも転用した…という経緯があるので、天文学的には天の川を他の銀河と区別するために「天の川銀河」と呼ぶのは別に重複表現でもなんでもないので冤罪でしたね、失礼しました。