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ヒヤ・ヤッコーさん「祖母が勝ってガッツポーズしようが、娘が負けてすねようが、家の中はつねに笑い声が響いていました」ボンバーマンWiiの思い出とゲームと人。

ボンバーマンWiiというゲームとは

こんにちは。
半世紀近く(!)ヘタの横好きゲーマーやってます、ヒヤ・ヤッコーです。よろしくお願いします。

【いつ始めて何が楽しかったから続いたのか】

発売日を待ちわびて買ったわけではなく、しばらくして買ったようです。他のゲームをやってたと思うのですが、何をやってたか忘れましたw

その後、毎日ボンバーマンWiiになりました。普通にステージをクリアするというより、とにかくオンライン対戦ができるのが楽しみでした。純粋にゲームを楽しむ方々と出会い、リアルタイムで一緒に遊べる。今の時代では当たり前のことですが、わたしにとっては奇跡的なゲームの進化だと思っています。なにせ数十年前の世界では、通信速度も処理速度も記憶容量も足りず、一般家庭の環境では不可能なことでしたから。

ボンバーマンの対人対戦はシンプルで、複雑なボタン操作がなくても対等に同じステージに立てます。基本は爆風で相手を倒す。これだけ。あとは本人の判断と操作だけです。しかも短時間数分で1ゲーム決着がつきます。負けてもまたゼロスタートです。好き嫌いが分かれるかもしれませんが、わたしはそこが好きでした。

【ご飯の名前にしてた理由】

今のヒヤ・ヤッコーという名前は、ボンバーマンWiiで知り合った方々に呼び名をつけてもらったのですが、もともとは相手の皆様に自分を覚えてほしくていろいろ考えた手段の1つでした。アピールのくせとか、初動の特徴とか。ああ、あの人かまた、みたいに何度か対戦する間にわかってもらえたら。その日に食べたものを名前にすることにしました。より強いイメージで(?)怪獣みたいに、ヒーローみたいに、最後に「ー」をつけることにしました。
10文字まで入力できるので、「うまいぜやきとりー」とか「だいすきおにぎりー」とか、ちょっと感想も入れたり。広いオンラインの世界の中で、「わたしだよー!」って叫んでいたんだと思います。

【コミュニケーション手段に乏しい中で、どのようにコミュニケーションを図ったのか
アピールの楽しさ】

対戦モードでアピールが使えたのは鮮烈でした。これは、ボンバーマンだからこそ。1画面の中で全員の動きを見ることができるからこそ、対戦相手に同時に表現できるんです。どんどん進化して、次代のボンバーマンでは背中をかくとか、眉をひそめる的な、細かい表現もできるようになっちゃったりして、とすごい期待をしていました。ノーマルモードをクリアしないと使えないアピールもあったし、コントローラを振るとできるロケットアピールもあまり対戦としては意味がないのに、派手で楽しかったです。

やられたあとのミソボンの動きでコミュニケーションもとれました。復活するのにミソボンは弱すぎて難しいです。そのうちに、誰かがすでにやられて放置のミソボンに寄り添うように位置取りするように。あっというまに次々と、みなさん綺麗に枠に一列に並ぶようになりました。「またやられちゃったね」「次はがんばるよ」と言い合っているように。動かないことすら、アピールになりました。乏しい表現は、豊かな想像を産むんですね。

【ボンバーマンにどのように触れてきたのか】

学生時代にゲームセンターというものができてインベーダーフィーバーし、秋葉原では初期のパソコンが初めて発売されるという恵まれた環境でした。週6日いろいろなバイトで稼いだお金は、すべて雀荘とアーケードゲームと、あとはNECのPC8001に消えました。独学でBASICとZ80アセンブラを覚えたのは、ただただ「自宅でゲームがしてみたい」からでした。たぶんファミリーコンピュータが世に出る少し前の話です。

ひたすら16進数を入れまくって、バグをとるのも一つ一つの数字のミスを目で追うしかないという苦行の末、動かせたのは「平安京エイリアン」というゲームでした。上から碁盤の目になったステージを走り回り、通路に穴をあけ、おそってくるエイリアンを埋めるゲームです。

わたしにとっては、初期のボンバーマンはその進化系に思えました。ファミコンも発売日に買って、友達数人と徹夜で遊んだのを覚えていますが、ファミコン版のボンバーマンは買ってなかったかな。

ボンバーマンとの出会いは、スーパーファミコンからになります。それまでも次から次に新しいゲームで遊んでいましたが、幼稚園児だった息子の友達の家でスーパーボンバーマンを初めて遊ばせてもらって、その面白さにビックリ。ちょっとシブイゲームだと思い込んでいたボンバーマンが、こんなに華やかになっていたとは。

対人対戦モードが楽しく、子どもが負けて泣いても手加減しない父母と、それを見ていて負けず嫌いの祖父母まで参戦。毎日爆風で熱い家族になりました。そんな環境だったので、ハドソンが市内のゲームショップで大会を開いたときは、すでに私たち大人では歯がたたなくなったまだ小さかった息子が、高校生を破って優勝したりしてました。たくさんもらった当時のボンバーマングッズはもうさすがに今は存在していません。残念。

実家の祖父母もスーパーマリオワールドや、ワギャンランド、時々古いハードを出してツインビーとか遊びつつ、わたしたちが行くといそいそとスーパーボンバーマンを用意してコントローラもたくさんつなげて対戦するように。

祖父が亡くなった時も、お通夜では家族でスーパーボンバーマン4や5を対戦して、父がいつも使っていたミドリボン(5P)を空けて、最後にいっぱい遊んで送り出しました。その後一人暮らしになった母は、コンピュータ相手に対戦したり、ノーマルモードのやり込みを今もなお、ほぼ毎日やりつづけています。でも、対人は負けると悔しいからやらないそうです。

【スプラの何が楽しいと感じたのかWiiボンとの楽しさの共通点、違い】

ボンバーマンWiiのWIFI8人対戦も、WIFIサービスが終わる時がきました。それまでに他のSNSで連絡がとれていた方々はともかく、ほとんどが連絡のとれない、でも毎日のように遊んでいた方々とのひとまずのお別れでした。ゲームができないご都合でない限り、きっと顔が変わっても名前が変わってもゲームが変わっても、必ずどこかで一緒に遊べる。
それはほぼ確実ですが、寂しかったです。

感動の最終夜のあと、しばらくはボンバーロスでしたが、そこに登場したのはスプラトゥーンでした。オンライン対戦が8人で戦える。細かいところはもちろん、ゲーム自体が違いますしコンセプトも違うのですが、ステージが広大ではなく限りがあること、キャラクター設定がシビアな面を持ちつつカワイイこと、SF的世界観を持っていること、対戦時はたった2つですが「ナイス」と「カモン」のアピールが使えること、なによりいろんな形や種類の「爆弾」を使えること!

名前もボンバーマン時代の名前を使って「ヒヤ・ヤッコー」にしてみました。
ボンバーマンWiiあたりからわたしもSNSを使うようになり、連絡がとれる方もいましたし、その時のフレンドさんを引き継ぐことができたので、スプラトゥーン2でもあのボンバーマンWiiの仲間と遊ぶことができます。

【総括】

ゲームのどこが楽しいのか

ガチ勢は、当然勝率やその中身、対策が問題になります。ストレスもあるだろうと思うのですが、ボンバーマンでもスプラでも、わたしが知ってる限り、エンジョイ勢より対戦時本当に楽しそうで活き活きしてます。自分を研ぎ澄ました人にしか経験できない楽しさがあるのだと思います。

では、わたしは?
家族で毎日遊んでいたスーパーボンバーマン。そこで祖母が勝ってガッツポーズしようが、娘が負けてすねようが、家の中はつねに笑い声が響いていました。やるからには勝ちたい、
でも、負けても楽しい。全員次は勝つ!とまたスタートボタンを押す。

オンラインでその次元の上の方々と出会っても、わたしの気持ちは変わらなかったんだと思います。まったく知らない方が多いですし、昔の大事な友人とか。どんなつながりでも年齢性別でも「ゲームの好きな」方々と一緒に遊べる。共有できたその時間が楽しく、宝物です。

遊んでくれてありがとう!またよろしくお願いします!

対戦後はいつもその気持ちですね!
いろいろなゲームが創られていくこと、楽しみにしています。いまでは次世代はよりリアル、より3D4D、と思ってる方もいるかもしれませんが、ボンバーマンを知っているからこそ。ゲームの楽しさは想像力だと思ってます。爆発的な想像、創造。これからの時代、ますます楽しみです!