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闘病記No.3: 地獄のICUから希望へ

入院と一連の検査

家族との心温まる時間が終わり、私は入院しました。
最初の1週間は、大腸検査や胃カメラなど、さまざまな検査を受けることになりました。
肝臓に大きな腫瘍が見つかっても、他の部位にがんが転移している場合、外科的手術ができなくなることをその時初めて知りました。
そのため、最初の検査は肝臓以外への転移がないかを確認することから始まりました。
転移が見つかれば手術が不可能となり、生存率も大きく下がるため、結果を待つ間の不安は言葉にできませんでした。
幸いなことに転移は見つからず、手術を受けることが確定しました。
この1週間、友人や道場の仲間たちがお見舞いに来てくれ、そのサポートがどれほど心強かったか。
手術を乗り越えたら、また格闘技に打ち込むぞと心に誓いました。

手術当日の心境

手術当日は、早朝からスタートでした。
緊張しつつもどこか落ち着いていたのは、自分ではどうにもできない状況だったからかもしれません。
病院の廊下を歩くとき、手術室に向かう私を家族や親戚が見送ってくれました。
格闘技の入場時を思い出すような、不思議な感覚でした。(自分は寝てるだけなのに笑)

手術後の試練

目を覚ますと、遠くから「高須さん」と呼ばれる声が聞こえました。
目を開けると、ストレッチャーで運ばれている自分がいました。
そして、目覚めとともに訪れたのは、言葉では表現しきれないほどの苦痛でした。
手術で切ったお腹の激痛、喉の渇き、悪寒による身体の震え...それはまさに地獄のようでした。
たまらず「寒いです」と訴えると、看護師さんは何枚もの毛布で私を包んでくれました。
しかし、腹部を切って高熱が出ていたため解熱剤を入れた影響で体が熱くなり大汗をかき、やがては上半身裸になってしまいました。(熱かったり寒かったり訳わからない状況)
最も辛かったのは「喉の渇き」でした。
手術による影響で、水分を口から摂取することができず、数日間は点滴での水分補給が必要でした。
点滴で水分補給できているはずですが口から水分を入れられないことがこんなにも辛いとは思いませんでした。
この時の苦痛は暫くつづき、夕方に手術を終えましたが一睡も出来ず朝を迎えました。

ICUからの移動と継続する試練

辛い一夜を乗り越え、ついにICUから一般病棟へと移動しましたが、朝を迎えても私の苦しみは変わりませんでした。
お腹の痛みはもちろん、とにかく喉の渇きが耐えがたいものでした。
数日後、ようやく許可された水を飲んだときの感動は、涙が出るほどでした。
しかしながら、夜になると解熱剤を入れてもらっても、身体は火照り続け、大汗をかいて背中がベッドに張り付くほどで、眠ることができませんでした。
病院なのでクーラーが弱いため、入院期間中まともに寝れた記憶がありませんでした。

歩ける喜びと退院への道

しばらくすると、体中に繋がれた管が外され、ついに歩けるようになりました。
まだヨチヨチとした歩き方でしたが、これが私にとっては大きな進歩でした。
回復してからは、病院内を歩き回ったり、お見舞いに来てくれた人たちと話したりと、少しずつ普通の生活が戻ってきました。
入院生活の最終日には、兄と病院の最上階にあるちょっとお高いレストランで美味しいご飯をご馳走になりました。
ずっと病院食だったので感動しました。

当時勤めてた会社の仲間が持ってきたバナナ50本?100本?
ご馳走になったステーキ

退院と新たな決意

そんなこんなで、地獄のような入院生活が終わりを告げ、約2週間の入院期間を終えて退院しました。
家に帰る道すがら、「1日でも早く格闘技に復帰してやろう」と心に強く誓いました。


ドクターヘリも見れたりして眺めよかったです。



退院してからの日々は、新たな希望に満ち溢れ、再びリングに立つことへの情熱が私を動かしていました。
しかし、体調を取り戻す喜びも束の間、まさかの再発が私を再び試練へと突き落とします。
次回の『闘病記No.4』では、この予想外の挑戦と、それにどう向き合ったかをお話しします。
どうぞ引き続き、よろしくお願いいたします。

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