見出し画像

3次元と4次元の間

 もちろん僕もそうなのだけれど、3次元と4次元の間の溝を数多くの浪漫が埋め尽くしていると感じる。つまり、3次元から4次元へ1つ高次元へ移動する瞬間、妄想や空想が多くの浪漫を排出し続けていることを感じる。
 実際には現時点において、高次元へ移動するという行為自体が不可能であり、それ自体が妄想、空想であるため、3次元と4次元の間に数多くの浪漫が存在することを確認することは不可能だと思う。

 そもそも次元とは、数学において空間の広がりを示すための指標であり、次元と次元の間に浪漫が存在するなんて考え方がナンセンスだろう。たぶん。

 アインシュタインの相対性理論やSFの世界では3次元に時間軸を加えた世界が4次元と考えられることが多く、5次元はパラレルワールドなど複数の時間軸を加えた世界だと考えることが多い。

 彼女は言った。
「今まで、昔を思い出すことはなかったけど、久々に昔話ができてよかった。」

 僕は会社の未来のため、新しい事業として初期投資がほぼ不要な事業、SNS事業を立ち上げ、これまで発信していなかった僕の会社についてSNSで発信をするようにした。成果はまだまだ出ていないけれど、少しずつ僕の会社を知る人が増えてきた。裏方仕事中心の会社であった僕の会社を直接知る機会がないであろう人たちが知ってくれていくのが、とても心地よかった。

  彼女もそんなSNS事業の中で広がった輪の中に入ってきた1人だった。もともと僕と彼女は幼馴染だったのだけれど、僕が地元を離れた瞬間から会うことはなかった。会うという意味では今も会っていない。

 彼女とSNSでつながり、ここ数日、現在から過去まで、2人で時間旅行を繰り返している。

 本当は体温を伝えることのできる距離にいることができた過去の時間へ、体温を伝え合うことができなかった2人が、体温の伝えられないスマートフォンを使って、繰り返し、繰り返し、体温を伝え合っている。
 大人になった2人にはそんなに遠い距離ではないけれど、約300kmの物理的な距離も超え、30年という時も超え、つなげなかった手をつないでいる。

 彼女は言った。
「ホント、この感覚にまだ慣れないけど。」

 3次元と4次元の間の溝を数多くの浪漫が埋め尽くしていることを確認できた僕は星空を見上げた。そして思い出した。

 人は昔から過去と現在をつなぐ時、その接続方法に浪漫を使っていたことを。

いただいたサポートだけが僕のお小遣いです。ジリ貧(死語)