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「酸っぱい葡萄だ!」と決めつけない

イソップ物語に、「酸っぱい葡萄」という話がある。

主人公は、キツネ。
美味しそうに実った葡萄を見つけるも、高いところにあってジャンプしても届かない。悔しくなったキツネは、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいはずだ。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を吐き去っていくという話だ。

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思考を止めない

この葡萄が本当に酸っぱかったかもしれないけど、甘くておいしい葡萄だったかもしれない。問題は、その真意ではなく手の届かない対象に手が届かない場合に、思考停止に陥り「価値がない」と決めつけてしまうこと

これは、日常生活のなかを振り返ってみてもあると思う。

英語圏では、「Sour Grapes」を負け惜しみという意味で使用する。

キツネは、葡萄を得るために何もしなかったわけではない。だけど、その対象が実際にどうなのかわからずに決めつけていまうのは勿体ない。

最悪なのは、その自分が抱いた憶測を人に真実の如く話すことだ。

僕にも葡萄のように届かないものは、うまくいかず凹んでしまうことは、いくつもある。

旅行で行きたい場所があるけれど、お金や時間の制約によっていけない場所もある。また相手に話が伝わらずに怒られてしまうこともある。

だからといって、行けなかった場所を大したことのない場所だと批判しない。また相手がその一つの出来事によって、理解のない人だと決めつけたりもしない。ましてや批判することなんてことも。

事実がわからなければ、わからないと一旦保留する。

本当に食べたい物であれば、ジャンプがダメならば別の方法がないかを思考することに努めたいものだ。

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